藤原 靖さん能を演じる


平成19年3月11日大槻能楽堂において、藤原 靖さんが能「半蔀」のシテ「夕顔の女」を演じられました。大阪菊生会が粟谷菊生追悼会として開催した大会で、多数のお弟子さんが様々な演目を演じるなかの一翼を担うものでした。退職後の楽しみとボケ予防のため入門したとのことですが、先生の指導や仲間の助言もさることながら、ご本人の努力は大変だったと推察されます。立派に見事に演じられ大きな拍手が起こりました。
私達も一時幽玄の世界に迷い込んだ思いで堪能させてもらい大満足のひと時でした。そして日本の伝統文化が継承されていく現実の姿を垣間見ることができました。
岸田善三郎先生と同期生の計11名の応援団は終了後今日の話題を中心に旧交を暖めることもできました。(千藤雅弘君からの報告)

                        (写真はクリックすれば拡大します

演能をおえて

40年間県公務員としての職務に、定年退職という区切りを迎えられる事が、確信できた頃、退職後の「楽しみさがし」を始めました。公務員という、あまり割りの良くない職務で人生の大半を費やした事に少し淋しさも感じていました。姉が日本画をよくするので、教えてもらったり、阿波の地を活用して「よしこの」のお囃子を習おうかと考えたこともありましたが、どれも60の手習いでは、楽しむどころか劣等感がつのります。そのような時、大きい声を出すことがボケ予防につながることを思い出し、学生時代に能楽部に在籍し、社会人になってからも、お稽古を続け、「能」も数曲舞いおさめていた、弟にたのんで「大阪菊生会」に入門させていただきました。

入門4年目を迎える頃、退職後は謡曲一筋に打ち込むので、1度でいいから「能」を演じたいと、菊生師匠にお願いしてみました。その時、師匠は私の顔を見て、新米が何を言うか、あきれて物が言えないといった感じで、「貴方はあの世で一緒に舞って上げましょう」と婉曲的に断られてしまいました。でも、退職後は何処までも(地の果てまでとは言えませんが)先生について回ってお稽古するから、冥土の土産に1度能を舞わせて欲しいと強引にお頼みし続けて2ヵ月後、粘り勝ちで今回の演能の運びとなった次第です。

菊生師匠は昨年9月のお稽古のあと、自宅で脳出血を発症され、半月足らずで、帰らぬ人となってしまわれました。お稽古半ばで師匠の突然の死に会い、一時は落ち込んでしまいましたが、息子の明生先生が後を引き受けて下さり、無事3月11日大槻能楽堂で「能・半蔀」を演じる事ができました。

当日は大学時代の先輩や同級生、高校時代の同級生や恩師岸田善三郎先生、仕事でお付き合いしている看護師さん、自身兄弟や従姉妹など、多くの方々に見守られ、1時間40分幽玄の世界で気持ちよく遊ばせていただきました。大槻能楽堂までお運びいただいた皆様、本当に有難うございました。

この後、能はもう舞えませんが、当初の目論見どおり、大きい声を出せる謡曲のお稽古は続けたいと思っています。      平成19322日  藤原靖


inserted by FC2 system