フィリピン旅行記   田中公子

 フィリピンで仕事をしている主人の友人から一度来ないかと強く勧められ、
SARSを心配して躊躇していましたがやと重い腰を上げました。
131日から 23日の3泊4日の今回の旅行でした。

* 飛行機で34時間、時差は1時間の近さなのに、殆ど知識のない国、フィリピン。
*  30度の真夏の太陽が照りつけ、さっき出発した日本の冬とはかけ離れた明るさに
  とまどった国。
(12月から2月は比較的涼しく28度〜30度で雨も少ないようです)
* マニラ市の第一印象はあふれる車の洪水と、その排気
  ガスでどんより曇った空、 特にジープニーと呼ばれる
  相乗りタクシーのけばけばしい装飾を施した車がどこ
  でも停まって人を乗せ、その為に一層渋滞が起こる、
  その喧噪ぶりでした。

*  経済発展から取り残されたこの国は貧しく、男性の雇用
  もままならないと聞くに
  つけ、街のインフラが進めば
(公共の電車、地下鉄など)
  移動に無駄な時間をかけ、
  殆ど仕事にならない日常生活が改善されるのになぁ、と残念に思ったことでした。

* 一部分のスペイン人、華僑などの富裕層、大多数の貧しいフィリピン人、でも
  人々はあまり屈託なく、のんびり明るいなとの印象を持ちました。

リサール・パーク

* フィリピンの国民的英雄ホセ・リサール記念像があり、広大な緑の芝生と噴水が美しい公園
  です。右下は彼がスペイン軍から撃たれた光景です。

コレヒドール観光

* コレヒドール島はオタマジャクシの形をした火山島で、バターン半島からも近く、
  マニラ湾の入り口に位置するため、古くから戦略上重要な役割を
してきた島です。
 
又近くには30年前小野田寛郎さんが救出されたルパング島も見えます。

* フィリピンの歴史は300年以上のスペイン
  による統治、米西戦争後は米軍の保留地と
  して、特にコレヒドール島は補強されて
  きましたが、第二次世界大戦では
日本軍
  は
6000人の守備隊の中生存者は20名前後
  、爆撃により島内の草木、動物も「生物
  は一つとして存在しなかった」と言われ
  るほどの焦土と化した
所です。

* 今回行ってみると島内の美しい草木も蘇り
  、マッカーサー元帥がいた当時、
I shall
   return! と言う言葉を残したのが頷ける
  ような風景でした。
島内観光バスで一巡
  すると戦争遺跡を保存するだけでなく、
  マリンタ・トンネルでは実物大の人形や
  光と音を
巧みに使い、大戦時の出来事がドラマチックに再現されていて、トンネル内を歩き
  ながら映画をみているようで感銘を受けました。

TAGAYTAY観光

* マニラ市から少し離れた所にタール火山とタール湖(カルデラ湖)に浮島が見られる美しい緑
  の景勝地があります。
午前中ゴルフをした後、午後からそこへ行ってきました。そこで始めて
  ジープニーにも乗り、常夏の国の美しい花も沢山見ることが出来ました。
今回の旅行は主人の
  友人の運転手さんに、すべて送り迎えをしてもらいましたが、そこでの驚いたこと。

* マニラ市は交通渋滞が激しいので、ナンバープレー
  ト末尾の番号で、一週間の中で曜日により市内乗
  入れが禁止されているとのことです。
これは午前
   7
時から午後7時まで禁止で、たまたま彼の車は月
  曜日、我々がタガイタイ観光に行く日に当たって
  いました。
行きは早朝出発なので問題なし、帰り
  、午後
650分市内に帰って来ました。その程度
  なら大丈夫だろうと言っていたのが引っかかって

  しまい、他の場所に誘導され、警官が書類になに
  やら書き込み始めました。そこで運転手さんが、
  幾ばくかのお金を渡したらすんなり通して
くれた
  のです。聞けば書類に書いていたのは真似だけで
   、実際は「袖の下」がまかり通っている世界で
、日常茶飯事だとのこと。

* 日本人から見ると物価は兎に角安く、1ペソが約2円強、約350CCのビールが60円位、一流の
  ゴルフ場も総て含めて
5000円以下の値段です。国際的にみて、ペソの値打ちが下がっていて、
  その為設備投資も進まないのが現状のようです。
今回は2回のゴルフと駆け足観光旅行の
   3
4日でしたが、それなりに楽しい旅でした。

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