最近の歩く会やゴルフなどを中心とした彼の思い出

 1. 山内さん 何時も山歩きの時は先頭で後に続く私たちは安心して付いて行っていました。
そろそろ休憩してほしいなあと思っていると5分休憩と言って水分補給をさせて下さったり色々気を使って下さいました。
山内宅でのお食事会の時でも生ビールを入れてくださる係りを引き受けてくださり本当に優しい方でした。
泊まりの旅行の時は最後まで美味しそうにお酒を飲まれていましたしね。でも、こんなに早く私達より先に旅だたれるとは
考えてもいませんでした。これからの歩く会の時も私たちを見守ってくださいね。 柿本能子


                                      (写真はクリックすれば大きくなります)

  2.山内孝之君への追悼文

山内君 君の訃報を知らされた時は一体何が起きたのか我が耳を疑うほどのショックでした。同じ高校の同期と言え、貴君との接点はありませんでした。

記憶をたどれば会話したのが1999年11月、同期ゴルフの会「第28回燦燦会」の幹事役をした際に仕事場を訪問させて頂いた時でした。会場が榊原温泉でお互いお酒が好きで、おおらかな方で親近感を覚えました。以来、

100回にも及ぶ高校同期の「歩く会」では常に先頭で我々をリードして呉れる白髪のあなたの姿がしっかりと眼に焼き付いています。これからも必ず、あなたのことが話題に出るでしょう。

冬山のように清冽で、夏山のように澄明な君の霊に、いま、心から哀悼の辞をささげます。
さようなら 山内君。安らかに眠って下さい。1月8日 八木郁充


 

 3.
白いお髭のお兄様、山内さんが亡くなった!と11月14日電話でお聞きした時 ウソ、そんな!と絶句しどうにも信じられませんでした。1週間前には皆で近大マグロのお店で楽しく食事をし、元気そのものでしたのに。

高校時代は殆ど話したことはなく、私が和歌山から大阪に居を移し、ゴルフでご一緒してからのお付き合いでした。ゴルフ歴が浅くまだ下手な私と、あまりゴルフが得意でない彼とちょっと賭けをしたり、気後れする私を自然に溶け込ませてくれた懐の大きい人でした。ある時には一泊旅行で横に座ったこたつの中でひょいと手を伸ばしてきたり、私がそっと手を隠したので隣の男性と男同士で握り合い、大笑いした時とか茶目っ気もある人でした。

そして歩く会、最初からのメンバーでした。

何時も先頭に立ち、淡々とマイペースで登り、スキーで鍛えた体力で、でも割にゆっくりで、後から付いてくる女性陣にも十分付いていける遅さで本当に助かりました。最近は山登りもしんどそうでしたが、でも一言も弱音をはかれませんでした。

いつもは寡黙で殆どおしゃべりしたこともない彼と最後の遠出10月末の上高地行きでは偶然バスで隣同士でした。珍しく彼が 「この前、車の運転中追突してなー、まだ背中が痛いねん、」と。今にして思えばきっとそんな事も亡くなられた遠因だったのかも知れません。

ゴルフや歩く会の遠出の時はいつも皆を乗せて運転して下さったり、歩く会の帰りの食事では山内ビルの空庭を使わせていただいたり、2,3年前から始めた女性たちの麻雀の場所を提供して下さったり、一方ならぬお世話になりました。

笑い顔が素敵で、おおらかで、寡黙で、全てにわたって包容力のある男性でした。

とてもとても大きな頼りがいのある仲間を失ったことを改めて感じます。

今後も残った者同士、お互い助け合っていろいろな集まりがつづいてゆくことを願っていますので、天国からいつまでも見守って下さい。合掌。   田中公子
                                                 (写真はクリックすれば大きくなります)


 

 4.好漢山内君を悼む

                             田中秀和

 寡黙 シャイな山内君 先頭を黙々歩く山内君 きっちり30分経ったら休む山内君歩く会にとっては貴重なトップ引き。

その山内君はもう逝ない。ハヤスギル。11月6日に酒を飲み交わしたばかり。

14日に山川君より連絡を受けてビックリどないなってんねんと思う。

 実は彼とは高校時代はつきあいはなく、歩く会で親しくなったのは6,7、年前より立山のみくりが池温泉の露天風呂で夜遅く、苦労話を聞かされ、或いは一人夜遅くまでウィスキーをちびりちびりやっていた状況が走馬灯のように浮かびます。

 それにしても早過ぎる。楽しい仲間が一人消える。俺の方が先だと絶対思っていたのに。

だけど長患いせずにサッと逝くなんて彼らしいなあ。俺もそうなりたいと思う。

  謹んで哀悼の意を表します。

 
 5.山内君の突然の訃報に本当に驚きました。「え〜!あの山内君が?」と

彼は「歩く会」のシンボルでもあり、彼がいつも先頭を歩いてくれたお蔭で誰もが安心して「私でもついて行ける」と自信を持って頑張ったのではないでしょうか?

上高地では足を痛めていたようでしたが、それでも痛さを我慢して皆の為に先頭を歩いてくれていました。

2日目の宿への帰路では、さすがに足の痛みで皆とはだいぶ遅れていたので、私は途中で彼を待って足を引きずって歩く彼と一緒に話しながら、日が暮れて宿に戻りました。

宿に帰ってから私が持参していた筋肉痛を和らげる薬を塗ってあげたりもしました。

翌日、山川君が「山内大丈夫か?」と言うと「大丈夫登れる」と自信をもって答え、河童橋に帰ってくるまで、痛みをこらえて先頭を歩いてくれました。

グループではどちらかと言うと寡黙で目立たない存在だったと思いますが、いつの間にか人の心の中に入り込み、親しみと存在感を与えてくれる「いい友」であり、飾り気のない本当に「いい男」でした。

そんな彼がなくなったと聞き、驚きと大変残念な思いで胸がいっぱいです。

山内君のご冥福を心より祈ります。 浪江章一

 

 6.山内孝之君へ

 

想像も出来ない貴君の悲報を聞いて言葉もありませんでした。

ほんの一週間前までお元気で仲間と楽しんで居られたのにまさか、まさかでした。

大変悲しい思いですが今はご冥福をお祈りするばかりです。

 

貴君とは同期に同じ大学に進みましたが、卒業後は夫々別の会社にはいり、勤務地の

違いもあって時々お逢いする程度でしたが、近年は高校同期の仲間と歩く会他で

多くの機会にご一緒出来るようになり何度かはお宅でお世話になった事でした。

 

貴君のすぐれた足跡などの個々の事柄については、他の方々に委ねる事と致しますが、

家業の経営の傍ら、スキー、ゴルフ、釣り等々多方面に亘って充実した生活を満喫されていた事は拝見しています。

多くの友人を持たれ、且つ深く、素晴らしいお付き合いをされていた事がこの証です。

 

顧みて、私の心に多く残ってるのは貴君の素晴らしい人間性です。

その大きさ、その親しみやすさ、優しさは私の遠く及ばない所で常々敬意を表しながらも

羨ましさえ覚えたものでした。彼岸でもきっと同じように友人に囲まれて充実した時間を持たれる事を信じます。

貴君ともうこちらでご一緒出来ないのは誠に残念ですが,どうかしばらくの間、我々を

見守って戴けたらと思います。

ご苦労さまでした、どうかゆっくりとお休みください。

さようなら。

 

                                 合 掌

 

                                 関岡大吉


 

 7. 3年前の2月、初めて歩く会に参加した時の夕食が、山内邸での猪鍋でした。山内さんとは、高校時代に一度も同じクラスになったことがなかったので、全く知らなかったのですが、白髪の白髭の顔をホームページで見慣れていたためか、飾り気ない温かな雰囲気をお持ちだったからか、旧知の友人宅に迎えられるような気持でくつろぐことが出来ました。奥様が気さくで、お酒を買いに走って下さったり、かいがいしくお世話して下さったことが思い出されます。
 山歩きなど経験のなかった私は、標高差400m、600m、650mと次第に厳しくなる歩く会の山行きに何時も不安を抱いて参加していました。初期の頃の夕食時でしたが、山内さんと隣り合わせになった時、そのことをお話したことがありました。山内さんは「自分の可能な標高差を知っておくといいね。僕なら標高差800mぐらいなら、いけると思っている」と言われたのでした。私にとってそのことは大変参考になるアドバイスでした。私は高度計を手に入れて、日常のウオーキングの際、標高差何mというのがどのくらいのものなのか、見当をつけるようになり、次の山に向けて準備するようになっていきましたので、不安が解消していきました。山内さんに大変感謝しています。
 山では山内さんはいつも先頭を歩いて下さいました。初心者は山内さんに続いて前を歩くように言われましたので、私は山内さんの近くにいることがよくありました。2番目、3番目は楽ですが、先頭は、道を間違えないようにすることも必要ですし、滑りやすいなども先頭の人が試されて、後の人が気をつけるわけで、お世話になったものだとつくづく思います。
 何時だったか、山内さんが滑って転んで擦り傷を負われたことがありました。用意のいい西川さんや鈴木久子さんが救急用具を持参されていたので、私が促されて傷の手当てをして差し上げましたが、古い絆創膏で利きが悪く、清潔なガーゼを当てておいたものの、絆創膏が剥がれたのではないか、不潔になっていないか後まで気になりました。そのことを山内さんに申しましたところ、「あんた小児科やろ」そんなことに責任を感じなくていいのだと、私の気持を楽にして下さったのでした。
 体力のある山内さんも、山を下りてから、平坦な道路を長々歩くのは苦手だったのか、最後になって遅れられることもありましたので、ねぎらいの言葉を掛けたことがありました。その時「あんた親切やね」と言われました。時には、バス停に私の方が早く着いていたりすることがありました。田中さんが「山内、鈴木さんに負けるで」と、一番弱い私と比較して面白がって言われたことがあります。もしかしてそんなことも気にされたのか、昨秋の上高地で徳本峠に登った後、私に「余裕あるか」と聞かれたのでした。「いいえ、やっとです」と答えましたが、その日の山内さんはとても元気で、休憩も少なくどんどん登られ、後ろの方を歩く浪江さんが「休憩しましょう」と声を掛けられるほどで、私もやっとの思いでついていったのでした。その時は登りを頑張り過ぎられたためか、帰りのホテルに着かれるのがかなり遅くなられました。足が痛くなっておられたことは、後の浪江さんのメールで知りました。
 その日の反省会で、大部分の人が上高地の唐松の黄葉の美しさに感激した旨の感想を述べましたが、山内さんだけは「赤がない」とやや不満足気に言われたのでした。他人に同調することなく、ご自分の気持をありのまま表現されたのでした。上高地の涸沢のナナカマドの紅葉は日本でも屈指の美しさであることを私は後で知りましたが、山内さんは上高地のナナカマドの鮮やかな赤い紅葉をご覧になったことがあってそれを期待されていたのではないかと思います。もうそのことを確認することは出来ませんが・・。ナナカマドの紅葉は早いらしいので、あの時もし涸沢に回ったとしても、ナナカマドの紅葉には遅かったでしょうけれど。
 上高地での食事でも隣の席になり、初めての歩く会で山内邸で猪鍋を頂いたことを話し、「気さくないい奥さんですね」と申しますと、とてもうれしそうな笑顔を見せられたのでした。
 その後2週間ばかりで訃報を聞こうとは誰が考えたでしょうか。  命には限りがあり、我々の年齢になれば、誰にももう近い将来のことです。社会的役割を終え、余生を楽しんでいる我々にとっては、最後まで生活をエンジョイされ、ご家族に介護の労を負わせることもなく旅立たれた山内さんの生の終え方は悪くないとも思えます。でも、余りに突然でしたし少し早すぎました。もう少しは楽しみたいと思っていられたに違いありません。お身内の方は言うにおよばず、いつも行動を共にされていた山川さんも、なかなか現実を受け止め難く、せめて追悼文集をと考えられたようです。
 お通夜の後、最後のお別れをさせていただきましたが、本当に安らかな安らかなお顔で永遠の眠りにつかれたことに救われた思いでした。歩く会、ゴルフの会、食べる会、山川さんとの山スキーと何時もホームページで眺めていた白髪をもう見ることは出来ませんが、皆の心に温かな思い出をたくさん残していかれました。私のような、ほんの3年足らずの歩く会だけのおつきあいの者も、ここまで書いてきたように、山内さんの短い言葉の中に温かみを感じながら、お元気だった姿を思い出しています。山内さんの残して下さった思い出を反芻しながら、日ごと募ってくる淋しさを時が癒してくれるのを待ちましょう・・・  山内さんのご冥福を心よりお祈りしております。         鈴木順子

 

 
 8.山内君

                                                    松原 えいこ
    もう、天国では心地よい居場所見つけられましたか?、仲間は出来ましたか?
    歩く会では、貴男を先頭にゆっくりペースに合わせて、何時も山に登りましたよね、
    それなのに天国へは、思いがけない速さで、素敵な奥様(恵美子さん)を残してあわてて駆け
    昇って行かれるなんて、今だ信じられないわ、、、。
    想い出せば結構多くのゴルフ旅行、山登り飲み会食事会等々
    御一緒させて頂きましたネ。
    いつも、貴男はそんなに目立つ方ではないけど、人の話をニコニコと
    ゆったり聞きながらウイスキーを片手に飲んでましたね、
    愉快な男友達としての条件をずらりと揃えていて お酒が好き、ゴルフ、魚つり、
    また歌も上手で、誰かさんにお腹が邪魔よと言われたダンスも、、、。
    そして少しエッチな話も織り交ぜて、シャイないい男だったわ。
    カヌーで木津川下りをした折には本当に苦労したわね、浅瀬に乗り上げたり、急流に流されたり、、
    其の度びしょびしょになり文句も言わず立て直しに頑張られて感心したわ、、、それもこれも
    素敵で気さくな心の広い美人恵美子さんが居られたから、孫悟空の様に羽をのばされたのかな〜

 
    海老茶色のワゴン車を目印にしての遠征も懐かしい想い出です、、寂しいなあ〜。
    多くの本当に沢山の思い出を私たちに頂きました、有難うございました!飲み会の折にはこれからも仲間と、
    しみじみと貴男のことを語りましょう、、、。  合掌、、
                                      
    



  
 

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