「初めての懸釜」                                                                                                                               
  
H29.8.25  鈴木順子


 山川さんから「お茶」についてHPにエッセイを書くよう言われていました。 歩く会で山歩きをしながら、茶の湯のことをよく話していたためです。この5月7日に初めて懸釜(茶会を開くこと)を経験しましたので、そのことについて書かせていただくことにしました。
 
 戦後の民主的な教育を受け、専ら西洋文化のみの影響を受けて育った私達の世代の多くの人たちがそうであるかも知れないように、私も日本の伝統文化には余り関心を持たずに人生の大部分を過ごしてしまったのですが、偶々教職に就いていた時期に学生の茶道部に関わったことが契機となり、表千家茶道を永年続けて参りました。
 仕事を辞して時間に余裕ができてからは、表千家茶道を積極的に学ぼうとする人たちの研究会に入れていただき、懸釜についても学ぶようになりました。そして愈々この5月に、月釜と呼んでいる懸釜の当番が当ったのでした。懸釜といっても、主に研究会仲間20人ばかりの会員に100枚程の茶券を配りお茶席に招待する大寄せのお稽古釜です。やがて、滋賀県支部茶会や、家元が催される日吉大社の献茶式の際に副席や野点席を担当するためのお稽古として行うものです。研究会には、茶道雑誌に会記が載るようなきちんとした茶会を担当される先生もいらっしゃって、懸釜についてご指導を受けることが出来ます。
 
 茶会にはどんなお道具でお茶席を準備するかを考えねばなりませんが、初めてお釜を懸ける私はこれといった茶道具は持っていません。自分で揃えられないものは先生にお借りしようと思ってはいましたが、どうしても自分で準備したいものもあります。
 先ずは当日の茶席の掛け軸をどうするかが問題でした。偶々友人所持の、曼殊院40世門跡の圓道大僧正の筆による一行書「茶禅一味」のお軸を掛けさ
 
 掛け軸
せていただくことになりました。圓道大僧正は滋賀県坂本出身の方で、大阿闍梨でもあり徳の高い学僧であります。その親戚に当たる友
 
掛物の中回し
(曼殊院家紋が
入っている)
 
人が、圓道大僧正のお軸を茶掛として皆さんに覧ていただく機会になることを喜び貸して下さったのでした。禅と同じく、茶の湯の精神の根本は人間形成の道だという意味を表現されているお言葉は、駆け出しの私にとって深く心に留むべきと思われ、頭を下げてゆっくり拝見しました。書体も美しく、表具も菊と笹の葉の曼殊院のしるし(家紋)の入った中回しが使用された立派なものです。これが私のお茶席のテーマだと心に刻み、お釜を懸ける決心が固まったのでした。

 
 私の懸釜の準備は、曼殊院を訪ねることから始まりました。曼殊院には若いころ訪れたことはありましたが、これを機会にもう一度きちんと知っておきたいと思いました。 曼殊院は洛北屈指の名刹、京都天台五箇室門跡のひとつ(ほかには青蓮院門跡、妙法院門跡、三千院門跡、毘沙門堂門跡)です。曼殊院門跡オフィシャルサイトによりその歴史をみると、はじまりは延暦年間最澄により護国国家の道場として比叡の地に創建され、天暦年間是算国師の時比叡山北渓に移り東尾坊と号し、天仁年間忠尋大僧正のとき寺号を「曼殊院」に改め、良尚親王の時現在の地一乗寺に移されたということです。私は特に曼殊院とお茶との関わりに興味がありました。曼殊院には京都三名席(ほかに孤篷
八窓軒
庵「忘筌席」、金地院「八窓席」)のひとつとされる茶室「八窓軒」があり、重要文化財でもあります。希望すれば解説付きで中に入れてもらえますので、私は、贅沢なことにたった一人で納得いくまで説明を受けて見学しました。三畳台目、下座床の席で、桂離宮「松琴亭」とそっくりです。八窓は仏教の八相(釈迦の一生における重大な事柄をまとめたもの)を表すとされます。細部の各所に、古田織部や小堀遠州の好みをうまく取り入れてもいます。
 
曼殊院の場所
  •  江戸時代前期の曼殊院門跡29世、良尚法親王は、八条宮智仁親王の第2王子で、国学、和歌、書、茶の湯、作庭などに通じた方でした。桂離宮を造立した八条宮およびそれを完成させた2歳上の兄の智忠親王の影響もあったのでしょう、曼殊院の建物、庭園は「小さな桂離宮」といわれるほどで随所に桂離宮との類似点が見られますので、引手金具、釘隠し飾金具など細部にも注意して観察し、また遠州好みといわれ、禅庭と王朝風庭園が融合しているともいわれる庭の造りも楽しみました。表の売店で良尚法親王好みの茶道具(茶碗・茶杓)が販売されていました。私は来るべき懸釜に備え良尚法親王好みの茶碗を購入して心充たされて帰路につきました。お茶とも縁の深い曼殊院であることを知り、圓道大僧正筆のお軸の茶禅一味の語にも思いが込められていると一層感じるようになりました。
     さて茶掛の次に大切な茶道具はお釜といわれます。
     茶席では一年のうち寒い時期(ほぼ11月から4月の間)は炉に懸けたお釜てお湯を沸かせば部屋は温かくてよいのですが、暑い時期には炉を閉じて風炉釜で湯を沸かします。立夏が過ぎると炉を閉じますので、5月上旬の茶席は初風炉といわれ、爽やかな雰囲気を演出して楽しみます。

     私は、50年も使うことなく押し入れに眠っていた唐金面取道安風炉と百代屋釜(嫁入り道具に父が持たせてくれたものです)を、初めて使うことにしました。こんなことでもなかったら一生使わずに終わったかも知れないものです。風炉の灰形を整えるのに何日も灰を押さえました。前欠き風炉ですから丸灰という形に整えます。丸灰の押さえ方については既に2-3回は講習を受けたのですが、プロの方で13時間ほどかけて完成させるという灰押さえを私はなかなか出来ないでいました。今度は必要に迫られて毎日時間があると灰を押さえ、出来具合を見てもらうため風炉を車に乗せて先生のところに持って行き、何とか完成させました。

 
 高台寺蒔絵大棗
 初風炉の雰囲気を演出するには、この風炉・釜にどんなお棚を取り合わせたらよいか迷いながら、利休形桐木地丸卓に決めました。天板には高台寺蒔絵の大棗、地板には紅毛(オランダ)写莨葉紋の水指を飾りました。高台寺蒔絵(内銀平目)の大棗は、若いころ初めて輪島塗りの展示会に先生に誘われて見にいったとき先生に選んでいただいて購入したものです。将来お釜を懸けることがあれば使いたいと思いながら20年以上も使うことなくしまってあったのです。私にとっては初めて自分で買った茶道具で、当時ご指導頂いていた先生に選んでいただいたものでもあり、是非これを使いたいと思っていました。初めて持つお道具としては、季節に関わらず使える高台寺蒔絵を先生は選んで下さったのでした。 懸釜についてご指導頂いていた先生が、桐の箱に入った木目の美しい松木摺漆の立派な丸卓(天板の裏面には久田宗匠の花押のあるものでした)を「よかったら使って」と貸して下さったのですが、余りに立派で初めての懸釜に相応しいのか気が引ける思いもしました。また、その立派な丸卓の美しい木目は見る人の目を引きつけ、その上では高台寺蒔絵の大棗もかすんでしまいます。お棗が主役であってほしい私の気持を伝え、折角貸して下さろうとした立派な丸卓をお返ししました。棚の地板に紅毛(オランダ)写の水指(膳所焼)を置くことで涼しげな雰囲気を出すことが出来ました。風炉と棚の先には侘びた船板結界を置くことにしました。
 
 風炉釜
棚水指
その先には船板結界


 お茶は「お軸」と「お釜」と「茶碗」があれば出来ると言われるように、お茶碗は茶道具として最も大事なもののひとつだ思います。初めてお釜を懸ける私は、自分で揃えられないものは先生にお借りしようと思ってはいましたが、主茶碗だけは借り物ではなく自分で求めたいと思っていました。懸釜の日が決まってから一年足らずの日しかありませんでしたが、自分の主茶碗をもとめて茶道具のカタログを見たり、展示会や古美術店などにも足を運びました。 茶道具選びに悩んでいる私に、先生が「初なうちに本物を見ておきなさい」とアドバイスして下さいましたので、美術館通いもしました。東洋陶磁美術館、香雪美術館、逸翁美術館、藤田美術館、野村美術館、細見美術館、茶道資料館、楽美術館等々。美術館で見るようなものは、もちろん手に入れられるようなものではありませんが本物の野々村仁清の繊細さ優美さには心が震えました。仁清写しの美しいものは沢山見て来ましたが・・。高価な茶道具に振り回されるのは邪道だと思っていましたので、私はこれまでは茶道具に対する関心はあまりありませんでした。しかし、陶磁器の歴史を一から勉強せざるを得なくなりました。お茶のための茶碗「楽」って何だろうとか、今まで考えてみることの少なかった部分を少しずつ埋め合わせていくことになりました。
 
 九代長左衛門作
 黒茶碗
 ある展示会で九代長左衛門の大樋黒茶碗に出会ったとき、私はやや小振りとも思えた茶碗を掌に抱いてみて、私の手にぴったり収まるそのお茶碗をすっかり気に入ってしまいました。腰の張った厳めしさはなく椀形でむしろ可愛い感じさえするのです。初めてお釜を懸ける私が持っても決しておかしくないのではないか、力もないのに道具だけが立派でもどうかという気もしていて、私には道具を選ぶことがとても困難でした。しかし九代長左衛門が私のために造ってくれたのではないか、いやもし私が長左衛門にお願いするとしたらこういうものではないかという気さえしたのです。 いつか九代長左衛門が「作陶の段階では無心であるが、本当に満足の行くものが出来るように
九代長左衛門
黒茶碗底面の
高台内に落款
(天地逆)
なったのは60歳を過ぎてからだ」と言われていたのを読んだことがありました。そのお茶碗は晩年の作らしく高台の中に長左衛門と落款が押してありました。高台まですっかり釉薬がかかっていて底の部分も美しい景色でした。これは九代長左衛門の会心の作ではないとしてもそれに至る途上のものに違いないと確信しました。先生のご都合のつかない日でしたのでたった一人で見に行き、よくわからない者が一人で決めてしまうには高価な買物ではあったのですが、結局それを今度のお茶会の主茶碗として手に入れました。これを見逃したら、こんな出会いはもうないかも知れないという気がしたのです。私の死後も、子どもたちが「お母さんはこの茶碗が好きでよくこれでお茶を飲んでいたね」と思ってくれればよい、茶道具屋になんか売らないでほしいなど余計なことまで考えたものです。私にとって、懸釜に向けての大きな出費はこれだけでした。足るを知り生きている私に物欲などないと思っていたのに、自分でも意外な買物でした。
 たった一服のお茶を(「お勧め」をお出しするとしてもたった2服のお茶を)飲んでいただくためにお招きしているのですから、直接手に取り召し上がって下さるお客様皆さまに満足して頂けるお茶碗で差し上げたいと思いました。毎日、手持ちの茶碗で一碗ずつ抹茶を点てて飲んでみて茶会に使えるお茶碗かどうかを考え選んでいきました。また、季節に相応しい絵柄のものを友人や先生からお借りもして数を集めました。

 
 膳所 
岩崎新定作
 八橋
 結局、次客さんの替茶碗には「八橋」(杜若が美しく描かれた岩崎新定作の膳所焼茶碗)を使うことにし、当日の「唐衣」と言う銘の主菓子を味わいながら伊勢物語の東下りの在原業平の歌など思い浮かべて貰えればと期待したのでした。 その他、曼殊院の良尚法親王好みのお茶碗も「瓢箪茶碗」と「富士茶碗」を、私の退職時にお祝いにと義姉より頂いた仁清生地に金箔を施した「金箔竹」(安朱窯)、芭蕉十哲絵(中村良二作 芭蕉ゆかりの近江の地に住む者としてはこんなものも一つ持ち込みたくて・・)、青楓絵、松葉絵、花三島、赤膚焼、膳所焼染付安南写(唐草紋)等々私の好きなものを並べることにしたのでした。

 当日、季節感を出すには床の花が大切です。5月初めなら出来れば大山蓮華を生けたいと思いました。しかし、近くでは入手しにくいことがわかりました。京都府立植物園の名誉園長松谷茂氏にも尋ねましたが、植物園には大山蓮華は2カ所にありますが、公のものを一枝分けてもらうと言うわけにはいきません。特に茶花を専門にしている花屋さんから購入することは不可能ではないでしょうが、それはあまりしたくありませんでした。自分の庭や近所の庭、野に咲いているものから集めたいと思いました。 お花の多い時期ではありますが、当日丁度よい具合に咲いてくれるかが問題です。自分の庭の花も当てにはなりません。4月には山芍薬が一輪きれいに咲いたのですがそれも終わってしまいました。二人静と都忘れは咲きそうでしたが、紫蘭さえ今年我が家では咲き遅れていました。家の近所のお庭を覗いて歩き、当日目ぼしいものを頂くために頼んで回りました。皆さん快くどうぞ使ってくださいと言って下さるのですが、そうやって頂いたお花のうち実際に使うのは2-3種にすぎませんから、頂いても使わないことになるかも知れないのです。そんな言い訳もしながら、前日夕に(当日朝はとても時間がないので)、バケツを持ってお花を集めて回りました。結局友人の庭から頂いた白とピンクの紫蘭に二人静を一輪あしらう形になりました。花器は竹の一重切りで松木摺塗丸香台を敷きました。白の紫蘭が清楚で5月の爽やかさを感じさせてくれました。
 飾り棚には、端午の節句の時期に相応しいと思い、鱗形香合を飾ることにしました。玉林院平成大修理完成記念の本堂古材を用いて指し物師稲尾誠中が制作したものです。
 
 鱗形香合

 

 
 
 干菓子器、
内朱妹塗
ロクロ目
(近左作)
 
 お茶席での楽しみのひとつはお菓子です。修業して和菓子のお店を開いていらっしゃる近所の亀屋広房のご主人と相談しながら、季節に相応しい和菓子を考えました。主菓子としては、杜若をアレンジした「唐衣」(薄く伸ばした紫色の四角い求肥をたたんで衣を着せるように
餡を包んだ優雅なお菓子です)を、また干菓子としては味噌餡をはさんだ種煎餅に鮎を描いたものと州浜製の青楓を作ってもらうことにしました。菓子器としては、主菓子のために二つの食籠(一つは私が一目で気に入って買った灰釉薬「竹に星群絵」(中村秋峰作)と、もう一つは、惺斎好み染め付山水丸食籠写)を準備しました。干菓子器としては、内朱姝塗ロクロ目(近左作)と成田流飛騨春慶塗を使うことにしました。無地の美しい朱漆に種煎餅の白と青楓の緑は映えるに違いありません。
 
食篭 
灰釉薬
「竹に星群絵」 


  当日使用するお茶は膳所城跡近くの富永園(湖城園)詰の「九重昔」に決めていました。余り苦味もなく飲みやすい美味しいお茶です。
 
 茶杓銘「南風」
長谷川寛州作
 共筒箱
毎日自分で点てて味わいながら、このお茶は少し濃い目の方が美味しいと感じたりもし、当日のお手前さんが美味しく点ててくれることを願いました。 お茶杓は、大徳寺527世三玄院長谷川寛州作「南風」を、季節に相応しい「銘」であることから、迷いなく使わせていただくことにしました。


 
 建水
伝来写カネエフゴ
無適斎箱
 薄茶席では寛いでいただく気持を表して莨盆を出すことになっていますが、それは先生のものをお借りすることにしました。糸巻莨盆、火入膳所色絵笹、莨入切箔タトー、如心斎好筋のある煙管付きといった立派なものを使わせていただくことになりました。建水は伝来写しカネエフゴ(無適斎箱)を、蓋置は青海波に即中斎の花押が書かれた膳所焼の千切を使わせていただきました。当初から、「私の持っている物は何でも使ってや」と言ってくださる先生のお言葉に、大船に乗っ た気分で準備できたことは有りがたいことでした。しかし、だからといって初めての懸釜に先生の立派なお道具を並べるのでなく、分相応をわきまえ私らしい席を準備したいと考えました。

 お茶席には箱書きのある高価なもの、よく知られた作者の茶道具を並べるものだと思ってはいたのですが、私にそんなものはありません。私は、押し入れに眠っているもの、何かの記念に頂いて大事にしまってあるもの、何かの機会に好きで買ったものなどを出してみて、また友人に助けを求めたりもしながら、初風炉らしい雰囲気を準備する工夫をしました。茶の湯や日本文化、日本人の美意識について、考えたり、勉強したりもせざるを得ませんでした。こうして 当日のために準備を進めていくことがだんだん楽しくもなっていったのでした。茶席が自己表現の場であることもわかってきました。

 
 蓋置 膳所
 当日のお茶席では、お客様も多くは顔見知りの方々です。5席ほど行ったのですが、どの席でもお正客は懸釜ヘのお祝いを述べて下さり、私は初めての懸釜に臨んでの気持や準備の過程などを気楽にお話させていただき、楽しく和やかに進めることができました。
 
 当日の茶会について、大方は、「楽しかった」「どんな堅苦しいものかと思ったけど、とてもいい雰囲気でしたよ」と好評でした。お茶会の翌日、「久しぶりに感激したお茶会でした」とお電話下さった方もありました。また ある方は「妙心寺の大僧正のお軸を姉から譲り受けたのだけど、人様に覧ていただく機会がないまましまってあるから、またお茶会される機会があれば是非使ってほしいわ」と申し出て下さったりもしました。 また、近所でお茶会に来て下さった方に出会うと「あんな美しいお菓子どこで手に入れたの」と聞かれ、店頭には出ていないけれど亀屋廣房さんに注文して作ってもらったことを話しました。といったふうにお茶会をしたことで、人との輪が少しずつ広がっていくのを感じます。人生の晩年、物を捨て後片づけをしなければならない時期にある私にとっては、懸釜など最初で最後だと思って臨んだのですが、懸釜をして初めてわかったことも沢山あり、茶の湯に今までとは違った面白さを感じるようにもなっています。
 
 歩く会で茶の湯の話をよくしていたため、一度はお茶のことを書かねばと思っていましたので、先日初めて経験した懸釜の様子を少し書いてみました。もう私にとって残された時間は少ないのに、こんなに、茶の湯にばかり時間を割いていていいのだろうかとも思い、茶の湯を続ける意味を絶えず問い直しながら、茶の湯の深みにはまっていきそうな昨今です。


(編集者注:写真や地図はクリックすれば大きくなります。文章の間に写真を挿入するのが上手く出来なくて、改行の位置がコントロール出来ないなど見難い点もあると思いますが、ご容赦下さい。)
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