私にとっての御岳登山                              鈴木順子

 昨年2月に初めて歩く会に参加して、私も皆と一緒に歩きたいと思うようになった。
 しかし、人より脚の弱いことがわかっていたので、皆に迷惑をかけないか不安であった。
 68歳で仕事をすっかり辞めてから、スーパーへの買物には歩いていくようにし、少しずつ歩くことに 慣れるよう努めるようになったが、山に行くには平地を歩くだけでは不十分で、坂道や階段を登ることが 必要であることを知った。そこで近所の茶臼山公園をウオーキングのコースに取り入れ、標高差80m、 歩数8000歩を週3回、膝や足底感覚、疲労度などを考えながら続けることにした。
 歩く会の山行きは、私には稚児が墓山の標高差400m位から始まったが、回を重ねるに従い少しずつ 標高差は増え600m余となり、山の高さも1000mを越す金剛山(1125m)御在所岳(1200m)を経 験し、遂に3067mの御岳山が計画された。
 少しずつ難易度の上がっていく山を、毎回やっとの思いで登っていたのだが、それでも低山の場合木陰 があり、足に優しい落葉の積もった山道が多かった。山川さんに頼りっぱなしで連れていってもらうとい う参加態度を反省するようになったのは、5月16-17日の御在所岳登山で大変な岩場を経験したときから である。山歩きから登山という気持ちに変わっていった。登山入門や登山技術の書物にも目を通すように なった。
 山のでき方、造山運動、プレートの沈み込みによる大地の隆起、侵食作用により生ずる尾根と沢、火山 活動、などに改めて興味を抱いた。地図を読み地形と照合するのは面白そうだと思うようにもなった。山 そのものに興味が湧いてきたのである。
 御岳登山に向け3000m級の山ということについても考えた。  気温は標高100m上がれば0.6℃下がる、さらに風速1mごとに体感温度は1℃低下するという。 3000mの山では夏でも5-6℃の寒さであり、悪天候での風雨では体温が低下する。
 標高が高くなると大気圧が低下し酸素不足(3000mでは酸素量は地上の74%)のため高山病も起こら ないとは限らない。高山病は、2500m以上の地域で発症の可能性があると本には書かれていた。酸素不 足に対する適応が上手く出来ないと、頭痛、吐き気、めまい・ふらつき、疲労・脱力などが生ずる。高山 病の症状が現れたら、それ以上の登高は中止し、悪化の可能性があれば下山する。自分だけ下山する場合、 一人で行動できなければならない。
 高所では空気が薄く、直射日光が到達しやすいため日射しが強い。太陽の日射しによる熱と歩く運動に よる熱で体温が上昇するが、汗をかいてその蒸発熱で体温を下げないと次第に体温が上昇し熱中症になっ てしまう。風通しのよい、汗をかいても乾きやすい服装にする(着るものの素材を考える)ことと、十分 な水分と塩分の補給が必要である。重いけれど十分な水を持たねばならない。
 紫外線は強く3000mでは平地の1.4倍(雪山なら2倍)というから、サングラスも必要だろうか。
 そのようなことを考えながら、御岳登山の1週間前に行われたトレイニング登山(ポンポン山登山)の 準備をした。雨具(上下・スパッツ・折畳み傘)、寒さに対する防寒具(フリース、腰が冷えないよう巻 きスカートのようなもの、レッグウオーマー、手袋)、水は500mlを3本、、タオル、行動食、コンパ ス、地図、筆記用具、使わないかも知れないが持っていくべきものもある。ヘッドランプ(予備電池も)、 サバイバルシート、ホイッスル、着替えー式(雨に濡れれば必要になる)、山小屋で使用する袋状シーツ、 簡単な救急セット(三角巾、絆創膏、鎮痛薬)・・。そうすると、何時もの日帰り用25lのザックでは窮 屈になってきた。
 登山入門書を見れば、ザックは日帰り30-35l、小屋泊40-45l、(テント泊50-60l)が基準となって いる。登山用具専門店へ行って相談し、30lのザックで自分の身体にフィットするものをようやく購入し、 荷物を詰めてみた。30lのザックは機能的にはよく出来ていて、肩のところで身体に添わせることも出来、 重いものを上にして上手く詰めれば担ぎやすい。御岳山のときと同じくらいの重さにしてポンポン山のト レーニング登山に臨んだ。何とか歩くことは出来たが、帰りには弱い方の左肩が痛くなった。もう少し荷 を軽くすることが課題となった。
 新しい30lのザックは担ぎ易いのだが重量が1.4kg(雨の時のカバー付き)で、いつもの25lのザック より容器だけで600g重くなる。私の体力では荷物全体の重量を5-6kgに抑えなければ無理だと考えた。 従って、新しいザックは諦めることにした。詰めるものの重量をひとつひとつ計って、少しでも軽くする よう、タオルなども薄くて軽いものを選んだ。「山と高原地図」も必要部分をコピーして入れ、原物は預 ける荷物に移すことを考えた。私は寒さに弱いので防寒具は十分に(軽いものを選んで)、水も十分に (熱中症、高山病予防にも大事だから)、足がつったときのため芍薬甘草湯も買った。衣類は吸汗速乾性 の素材を選んで揃えた。コンパスの使い方は、ポンポン山の時山川さんからも教わった。読図についても 少しは本を読んだ。
 これまで歩く会では、段階を踏んで少しずつ難易度を上げながら準備頂いた山を経験させて頂き、山川 さんには、想定される不安に対し何度も丁寧に御指導やアドバイスを頂いたお陰で、初めての3000m夏 山に挑戦するのに、不安よりはずっと多くの期待をもって御岳登山に臨むことが出来た。
 御岳登山の経過については、歩く会の報告で書かせていただいたので、ここでは、個人的なことを少し 記したいと思う。
 いよいよ御岳山に登り始めてから、標高2400mに達する少し前で、私は呼吸が荒くなり、高山病にな りかけているのではないかと心配していた。高山病なら、下山するしかない。一人で下山するなら早い方 がよい。何時も人に頼っていたことへの反省、うまく降りられるかとの不安、みんなに心配かけることへ の申し訳ない気持ちなどが頭をよぎっていた。私の調子が悪いことに気づいた人たちは助けて下さった。 栄養補給剤を飲ませて下さったり、呼吸法を教えて下さったり(呼気を長くする)、水など重いものをもっ て下さり荷を軽くして下さった。呼気を十分長くするように呼吸に気をつけながら、ゆっくりゆっくり歩 いていくうち楽になり歩き続けることができた。今から思えば、高山病というより、自分の体力が不十分 でしんどかったのだろう。自分には重い荷を担いで歩く力が、十分でないことがよくわかった。
 その後は大きな問題はなかった。転びそうにはなったが、転ぶこともなく歩くことが出来た。
 御岳登山の大きな楽しみのひとつは、何も遮るもののない3067mの山頂よりの360度のパノラマ、そ れも、北アルプス・中央アルプス・南アルプスの山々、富士山、白山連峰など日本の主だった高山を眺め られることだ。そして、お天気にも恵まれ、本当に北アルプスの乗鞍岳(これは大きく見えた)その後ろ に槍・穂高・常念岳がはっきり見えたのはとてもうれしかった。よく晴れていても遠く雲に隠れて、少し の晴れ間に美しい姿を現すものであることもわかった。山川さんのお陰で、その少しの良い機会を見逃さ ないで眺めることが出来たのであった。
 感動をもって眺めたご来光の、一刻一刻変化していく空の様子も、脳裡に焼き付いている。そして太陽 が一瞬にしてガスに包まれていく様子も・・。  朝に眺めた空があまりに美しく青かったのにも驚いた。空気が薄いと、途中で散乱させられる光が少な いため、空が青く見えるそうである。
 その素晴らしく晴れていた9月5日に、下山を始めると、ガスが立ちこめて、少し前の人が見えにくい ほどであった。日射による上昇気流で、谷から稜線に向かって霧が湧き上がってくるらしい。少し動かず に待った方がよいのではないかと思ったほどであったが、すぐにガスは移っていった。変わりやすい山の 気象についてもっと学ばねばと思った。また、ホイッスルやサバイバルシートがどこで必要になるかも知 れないという気にもなった。
 帰り際に霧が晴れて、御岳山の全貌を眺めることが出来たのは、ラッキーであった。
 御岳山は、自分たちの生きているとき即ち昭和54年(たった30年ほど前に)爆発を起こしている。 崩壊した土砂が土石流となって流れ下ったというが、私達の通った道にも大きな岩や溶岩と思われる茶色 の土の塊があり、煙の吹き出すのが見られたり、自然の荒々しさを見せつけられる思いであった。そして、 大地の地形が絶えず変化していくこと、地球が生きていることも感じさせられた。
 一方足下には、岩の間からイワギキョウやイワツメグサが真に可憐な姿を見せてくれ、高山植物 に出会う喜びを味わった。それらが小さな株を作って生き延びていく姿に心惹かれた。花の盛りの時も見 たかったけれど、実になっているのを見るのもよいものだ。コケモモモもナナカマドも小さな小さな丈で、 ほんの数個の真っ赤な実を抱いている。ハイマツの球果も開くことなく、ホシガラスに貯食されるのを待っ ているのだろうか。高山で、たくましく生きている命はいとおしい。ダケカンバとかハイマツとか亜高山 帯や高山帯でしか見られない木々を身近にじっくりと見られたこともうれしかった。
 御岳山は信仰の山でもある。今まで御岳信仰のことはよく知らなかったが、御嶽を開いた覚明と普寛の 両行者が、御岳を信仰するものは死後その霊魂を童子としてお山に引き取ってもらえると説いたため、死 後の霊魂の憩いの場を求めて多くの霊神碑が建立されている。 我々も、登山口で鳥居をくぐり遥拝する ことから登山を始め、剣が峰頂上にも鳥居をくぐって入ったのであり、霊山に入らせて頂くという気持ち を少しは味わうことにもなった。
 御岳山は巨大であった。そして、山の色々な面を見せてくれ感じさせてくれた。高所でたくましく命を つないでいる植物の姿もあったが、さらに高所は火山性の岩や砂礫の荒れ地で、植物が生きていくのは困 難なようであった。岩ばかりの厳しい道が長く続いた。今までの低山では落葉の積もった木陰の道が多かっ たが、高所ではそうはいかない。空気も希薄になり、人間にとっても条件は厳しくなる。
 今回、御岳山という高山に挑戦するに当り、山の地形、山の気象、山と生き物(植物をはじめとして)、 山と人とののかかわりなどいろいろなことに興味が広がった。また、地質学の研究から、日本の山のでき た過程を日本列島の形成にまでさかのぼって知っていくことは限りなく興味深いと思った。
 今まで主に低山を歩きながら、自然に分け入る楽しさを味わってきた。谷から渡ってくる涼しい風に、 何と気持ちよいのか、この快さを味わいたくて山に来るのだろうかと思ったりした。今回、御岳登山で感 じた気持ちは少し違う。自分が自然に分け入るなどおこがましい。自分は大自然に抱かれていて、自分も 自然の一物であると感じる。
 今までに登った低山にも、大抵は山の頂上に祠があった。山は神の在す所であり、山は水の源流でもあ り、日本人は五穀豊穰を願って山に向かい雨乞いをしてきた。山に登るのは、そのような神聖な地域に分 け入ることでもあるのだという気にもなってくる。
 「自然や景色を楽しめるから」、「気持ちがいいから」、そして「健康のためにもいいから」、続けた いと思っていた山行きだったが、山の魅力はだんだん大きくなり、私の心を捕らえて放さなくなってしまっ た。
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