2009.10.10 田中信昭   

船旅の自由帳20〜イタリア・ポンペイ

元気いっぱいで早起き。6時から太極拳、講師の林(リン)先生遅刻!半分自主トレ。

メールも用意していたドブロヴニク分を無事送信完了、昨夜書いた6人の孫への絵葉書、切手を買うのを忘れた!今日は船内ショップがお休み。街へ持って出てどこかで出せるか? チビタベッキァの港が右手に見えてきたが、予定の10時着岸は無理。結局出発は遅れたが、「ポンペイ遺跡とナポリ、ローマ観光2泊3日」に参加、弾む心を抑えてバスに乗り込んだ。

途中のレストランで最初の本格的イタリア料理、早速白ワインを注文。パンも少し塩が利いていて旨い。一皿目はお決まりのパスタ、二皿目が魚料理、とサラダ、それにジェラート(アイスクリーム) あれっコーヒーは付いてないんだ。聞いたら別料金だって??バスは高速道路で一路ナポリの町へ約3時間のドライブ、途中の料金所では“TELEPASS”という日本のETCに相当する設備が既に20年も前から稼働しているという。何でもオムロンが開発し、日本でなかなか採用されず、ここイタリアで先に使い始めたらしい。古代ローマの道路も古い形のままで残っている所が車窓から

見えた:一本足のクラゲ(?)のような形をした笠松の街道が斜めに横切り、あれが「アッピア街道」ですよとガイドの案内。

ポンペイ遺跡

左側にヴェスヴィオ火山が見え始めるとやがてバスは南イタリアの入り口、ナポリへ。あまり美しいとはいえないナポリの町を通り抜けて、直にポンペイの遺跡へ。始めのうち「遺跡はもうトルコのエフェソスで見てきたし、似たようなものだろう、」観光客も多いし、何となくあまり晴れやかな気持ちにならなかった。進んでいくうち、夕方少し遅い時間帯ということもあって、観光客がスーッと引き、気温も涼しくなってきて、だんだん気分が乗って来る。イタリアに関するわずかな知識の源は例の塩野七生さんの「ローマ人の物語」だが、そこに紹介されていた数々の場面が今目の前に展開されている!名ガイドの説明と相俟って、たちまち古代ローマの時代に引き込まれていった。

紀元79年ヴェスヴィオ山の大爆発で埋没したポンペイの町。18世紀半ばからの発掘調査で当時の姿が蘇った。それまでローマの支配下で別荘地としてあるいは港から近い商業地として栄えていたポンペイの街の当時から素晴らしい設備を整えた姿や当時の生活が想像されて暫し心を奪われた。既に「遠近法」が使われていたことがわかる壁に描かれたフレスコ画。2千人と言われる犠牲者の痛ましい石膏型。素晴らしい施設の公衆浴場。大きな粉ひき臼とパン焼き釜を備えたパン屋さん。立ち並ぶ商店街。玄関先の床に「猛犬に注意」の文字と犬のモザイク画が残る家。そして「雌狼の遠吠え(ルパナーレ)」と呼ばれた売春宿、言葉が判らない外国の船員にも判るようにと壁に描かれたメニュー(?)のフレスコ画、いずれの時代もやはり男は浅黒く、女の肌は白く描かれているんだなあ。丘の上から見るかつての港の方に沈んでいく夕陽がきれいだった。

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