2009.10.06 田中信昭   

船旅の自由帳18〜雑踏のアテネ

昨夜トルコのイズミールを出航した本船は再びエーゲ海に出てすぐ向かいのアテネの港ピレウスに本日9時入港。港には豪華客船が一杯、沖合から見えていたまるで15階建てのビルのようなでっかい船のすぐ隣に着岸。これだけの船からの観光客がどっと押し寄せるわけだから、アテネの観光名所は人込みでごった返すぞー「パルテノン神殿」と「プラカ散策」のバスツアーに参加、早速カメラとビデオを手に出かけた。案の定、駐車場にバスを着けるのに時間待ち、到着後も大理石の石段を丘の上まで登っていく間も各国から来た観光客でごった返し。スペイン語が聞こえ、ドイツ語が聞こえ、さすがにヨーロッパ人が大半で、日本人は我々ピースボートの100人余り以外は(他の東洋人も)あまり目立たない。見上げると目指すパルテノン神殿は修復工事中の足場が邪魔。しかし丘の上からの景観はさすがに素晴らしいもので、360度の大パノラマ、いくつかの丘の斜面から麓にかけてぎっしりと並ぶ、薄い黄褐色の大理石色の壁と赤茶色の屋根の町並み!

ちょっと急な大理石の階段を人込みと一緒に少しのぼってはあまりよく聞こえないガイドの説明を聞きながら進むこと30分、ようやくてっぺんの神殿の見えるところまで上がった

 

「アクロポリス」

元々アクロポリスとは古代ギリシャのポリスのシンボルとなった小高い丘のこと。アテナイのアクロポリスは中でも有名、元は王城であった。ポリス成立後は神殿や避難場としての宗教的、軍事的中核。パルテノン神殿はゼウスの娘アテナイを祭る神殿で、最初の神殿は木造だったため、ペルシャ戦争時に焼け落ち、その後再建された石造建築がペリクレスの時代にもっとも輝かしい時代を迎え、その一部が2千年以上経った今に残った。というのは17世紀に火薬を保存しておりベネチア人の砲撃にあって爆破したと聞く。白い(薄いピンクにも見える)柱と青い空の対比。

同じ丘の上に隣接するエレクティオン神殿の6体の女神像の柱(カリアティードとよばれる)が美しく気に入った。どの角度から撮っても6体全部はうまくカメラに収まらないなあ。

「修復工事」

パルテノン神殿をはじめ遺跡は現在修復工事中ででっかいクレーンや足場がすっかり景観を壊しているが致しかたないのだろう。大きな大理石を組む工事の傍ら、大理石の彫刻を丹念に修復している作業員が3人、こんな調子でやっていたら何十年かかるのだろう。まあ2千年以上経ったもの決して急ぐ必要はないか。

35年前にここを訪れたという人の話を聞いた。当時、観光客は殆どおらず修復工事もしていない状態で丘の上は涼しい風が吹き、のんびり昼寝ができたという。地球の人口爆発も問題だが、同時に各地を訪れる観光客の数も激増して、どんどんかつての良さがなくなっていくのが残念なこと。自分もその中の一人なのだが、、

 

「プラカの街散策」

プラカ地区はアクロポリスの東側一帯に広がる特別保存地区、3千年前から人々が住みつき迷路のように入り組んだ路地にはおしゃれな土産物屋、アクセサリーショップ、カフェやタベルナ(レストラン)が軒を連ねている。革製品や民芸品の店も建ち並ぶ一角のタベルナで昼食を食べた。空気が乾燥していてビールがうまい。ゆっくり休んで引き揚げるとき、いつものように自分の飲み物代を清算して出ることになるが、偶々立ち上がるのが遅くなり、一番最後に金を払おうとしたが、5ユーロ札しか手持ちがなかった。ビールが4ユーロ、ペットボトル大びんの水が2ユーロ、5ユーロ札2枚で払おうとしたら、1ユーロを持ってないかという。ノーと答えると、じゃ5ユーロだけでいいという。今までいつもガメつく取られないようにと気を張っているのに、逆におまけをしてもらって、たった1ユーロ(140円)のことで何だかとてもいい気持になった。

 

今夜21時までに船に帰ればいいというので、港へ帰るバスをここで離脱して、熟年4人組でもう少し街を散策し、何かおいしいものでも食べて帰ろうということになった。このややこしい街の地図も予備知識もなしに大丈夫かな。いざとなればタクシーを捕まえて帰ればいいんだからと高をくくって早速歩き始めた。しかし他人に合わせて街をぶらつくのはくたびれる。一人離れてカフェで休んでいることにした。道行く人たちをポケーッと眺めながら暫し旅愁に浸る。思えば横浜を出発してから既に40数日、今一人アテネの街角にいるーー

と目の前をピースボートの若い女性6人組が通りかかる。「やあやあ」彼女たちもここで一休みということでジョインしてきた。ツアーに入らず自由行動中。お互いあそこにこんなのがあったよ等と情報交換。彼女たちと別れてだいぶ経ってから仲間の3人が帰ってきたが、結局時間が中途半端になり何か食べるにはゆっくりした時間が足りない。どうしても地下鉄に乗りたいという人がいて、道行く人に尋ねつつ、アクロポリスの駅を見つけ約30分でピレウスまで帰ってきた。ビデオが最後に少し残っていたので取り切ってしまおうと車窓からカメラを向けて居たら、向かいのフォームにいた駅員らしい女性が“No、No!”とこちらに叫んでいる。撮影禁止と言っているらしく、あわててカメラをしまったが、果たしてどうして撮影禁止なのだろう?空港や港のイミグレーションのところはそうだと聞いているが、何の機密があるのだろう?安全上の理由??駅舎も車両も新しい設備でなかなかのものであったが、まさか技術を盗まれるのを警戒してではあるまいが。

 

結局、旨いシーフードだったはずの今夜の夕食は、船の居酒屋「波へい」のビールと醤油ラーメンということになってしまった。それでも満足と感謝の乾杯だった。

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