2009.10.01 田中信昭   

船旅の自由帳15〜スエズ運河

船の微かな揺れで目が覚めた。朝5時(日本との時差:7時間)まだ暗いが、覗いてみると船は既に動き出している。本船は昨夜22時過ぎに運河の南側の入り口に当たるスエズの街の沖合に錨を下して、今朝からのスエズ運河に入る順番待ちをしていたはず。両岸が迫っていて河幅は狭い。今日の日の出は5:54 だからまだだいぶ間があるが、起きだし甲板へ上がってみた。進行方向右側がアラビア、樹木が殆どない砂漠状態、そちらから日が昇る気配。うろこ雲のようなのが浮かぶ空がうっすら紅色に色づいてきた。左側がエジプト、こちらは樹木と町並みが見える。今日だけ特別に解放される最上階デッキ(13F)がオープンになり、早起きの人たちが競うようにして昇ってみると、さすがに我がキャビンより4階高い分見晴らしがいい。昨夜からの徹夜組の若者達もいたりして今朝は人が多い。本船が今日の運航の最先頭、後に次の船が続いて来るのが見える。やがて日の出。地平線に真っ赤な点が表れたと思うと、みるみる大きくなって真っ赤な太陽が顔を出し、全体が表れる瞬間まで2分20秒。  船はやがて最初の中継点(上下船の交差する船のプール)ビター湖に差しかかり河巾がうんと広くなる。大きな湖だ。大きな船が何十隻もいる。ここまで来るまでの狭い航路の脇に立てられた小さな看板は、北側の終点ポートサイドからの距離を200m間隔で示している。 全長162.5km、1869年(明治2年)に開通。工事中の犠牲者なんと12万人!

湖を抜けると再び狭い航路に入り、午後一杯走って今夜23時にポートサイドに到着する予定。

いよいよ地中海だ!明日は朝5時に起きて「ピラミッド探訪」の一日ツアー。

 

一昨晩、船上では「オークション大会」があって大いに盛り上がった。収入はパレスチナの難民支援に充てられる。20点以上のイベントが提供されそれを競り落とす。合間に「ハッピーチケット」と称して抽選会があり、1300円の抽選券を好きなだけ買う。どうせ顔を出すなら楽しみがあった方が良いと思い予め3枚買っておいた。

“汽笛を鳴らせる権利”

“あなた一人だけのブリッジ見学”

“あなたの肖像画描きます”

“毎日発行される船内新聞「カリブ」をあなた一人だけのために編集”

“プライベート体形改造レッスン”

等々

“スエズ運河前日からバルコニースイート1泊”これがなんと十万円以上の値段で競り落とされた。セリがまだいくらも進まないうちに「ハッピーチケット」の抽選会があり、その2回目で早くも自分の番号が!くじなど当たったことがないのに、何と幸運な。やはり20以上ある別口の企画の中からこれは無料で提供される。結局キューバでの催しのために盛んに練習をやっている「サルサ」の無料個人レッスンを選ぶことにした。もうダンスは卒業することにしたのではなかったか!

最後のハイライトは“ピースボートスタッフ全員と全装置を活用して「あなたの大切な1日を企画します」”というもの、大いに興味があった。ビッドは3万円まで上がった。もうここで決まるという鐘の鳴る一瞬前に「4万円!」と自分が声をあげていた。決まるかなと思った瞬間「45000円!」の

若い黄色い声、もう少し行こうかなと思ったが、ここで若い女の子とお金で競争するのはいかがなものかと反省し、彼女の夢の実現のために、身を引いた!?

それにしてもみんな興奮気味で大いに盛り上がった楽しい催しではあった。

 

その余話は昨夜にも引き続き、スイートルームを競り落とした人(女性)が今度は何人か親しい人を部屋に招待して、ちょっとしたパーテイーをやろうと。みんな狭い相部屋で窮屈な思いをしている人が多いので、見学を兼ねてワイワイと(午後のひと時) 夜はちょっと人数を絞って親しく歓談。

ということで自分は夜の部に招かれた。ブランデーを一本下げ、アルトサックスを持って出かけたことであった、、、、、

 

 

これを書いているうちに本船は2番目の湖「ティムサーフ湖」に近付いてきた。ここにはイスマイレーヤというきれいな街がある。スエズ運河を作る指揮をしたレセップスの家もここにあると聞く。

さあデッキに出て景観を楽しむことにしよう。

 

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