中塚みどり様宅を訪ねて
                                              井原博之

 2月中旬、悲報が届いた。中塚五郎先生が、昨年の大晦日に黄泉の国に旅立たれたと言う葉書であった。一瞬、ああもう先生とは御話ができない!戦慄が走った。

東京では同期が連絡を取り合い、2月20日の夕刻・大井町駅前の良く集う“さんた”に10名の仲間が集まり、先生を偲ぶ会を開いた。

 大阪の小森さんとも連絡をとり、一度先生宅をお訪ねする機会を持とうと相談した。小森さんは、花粉症の疎開のため3月にハワイへ逃避されたので、帰国を待ち、東京の仲間から預かったお花とお供えを持って、4月9日二人で中塚みどり様宅を訪れた。

 阪急淡路駅で待ち合わせ、徒歩15分、大変大きなマンション群に到着した。勝手が分からないので、電話をすると奥様がバス停まで迎えに来てくださった。

「昨年大晦日病院にて午前4時、先生は急変で亡くなられた。前日までお食事をされていた由。後腹膜の腫瘍悪化が主因であったとお聴きした。先生のお誕生日は、1030日で、喜寿を迎えられ、健やかな御顔の誕生日祝いのカードを作られ、それを頂いた」

奥様は生前の先生のことを数々話して下さった。先生は研究がお好きで、結婚された後も高校の授業が終った後、京都大学に通われて勉強をされていたそうである。歴史もお好きで良く本を読まれていた由。ご仏壇の脇に御坊様が書かれた院号の説明文があった。

「教徳院吾流天楽居士」“人を教え導くことから出る徳行は五郎さんの根本となる人柄であり、純粋な自分を貫くことは、他の力では止めることができません。その気質は苦を楽に変える力があり、天真爛漫な生き方に現れています。よって教徳院を受け、吾流天楽居士とします。”(曹洞宗)

帰途、奥様が「桜が綺麗ですよ!」と駅までの道を、少し迂回して柴島浄水場の桜を案内して下さった。丁度染井吉野が満開であった。

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