戦争と死と疾病と
                                                  打越敏之

 2千年の秋に「メソポタミア文明展」を世田谷美術館で観た。「目には目を」と言う「同害復讐」で名高いハンムラビ法典は紀元前2千年頃に作られ、2メートルを越す巨大な石碑に楔形文字が刻まれ、壮大であった。ハンムラビ法典にはバビロニアの当時の外科手術の記載もみられ「青銅のメスを用いて手術し患者を死にいたらしめたり、目を手術して盲にしたときは医者の指を切り落としてよい」と言う記述もあると言う。会場では彩文土器の多くや、楔形文字を記した多くの煉瓦、石板も陳列され、人類の偉大さを痛感した。
 しかし最近この4大文明発祥のひとつであるメソポタミア、イラクで戦争が勃発した。約1ヶ月経った現在、米英連合軍が圧勝し終息に向かっている?。今のところ、「大量破壊兵器」も発見されておらず、フセインの安否も知れない。昔の戦争は「孫子」にみられるように「囲師には必ず欠き、窮寇には迫ることなかれ」(包囲した敵軍には必ず逃げ道を開けておき、進退極った敵をあまり追い詰めてはならない)というようにある種の優雅さ?があった。しかし今回の米英イラク戦争では現在科学を駆使し、ピンポイント爆撃でバクダットやバスラ、ナジャフら諸都市を情け容赦なく制圧した。イラクにはイスラム教の各派、クレド族が存在しアメリカ主導の戦後復興は難航している。21世紀になっても民族、宗教、石油などの利権が絡むと複雑になる。戦争はゲームではなく人の殺し合いであり、勝者にも大きな償いが要求される。
 「イラク国立博物館」の庶民の文化財の略奪は凄まじく、多くの貴重な人類の文化遺産を失った。上述のハンムラビ法典の大半はルーブル美術館に保管され無事ではあるが、模写、記録銘板の一部やウルの黄金などは失われたままと言う。
 ミサイルや地雷で腕を失ったり、盲目になった少年たち、家族を失い泣き叫ぶ母親、爆撃で形骸をとどめないわが児を前に復讐を誓う父親。ニューヨーク01.9.11の世界貿易センタ-崩壊の衝撃以来、自爆テロ、聖戦、報復と果てしない憎しみの連鎖であり、苦しむのは庶民である。
 古代バビロニア人は現世しか信じなかったと言われる。ヒトの全ゲノムが解明された現代でも、人は同じような愚行を繰り返す存在なのか。ゲノム解析の結果、ヒトのゲノムはチンパンジーと9割以上共通し、極く僅かの差異しかない事を「戦争という事実」で立証しただけかも知れない。
 室町時代の民謡を集めた閑吟集に「何せうぞ、くすんで、一期は夢よ、ただ狂へ」。この世は夢のように過ぎ去るのに、どうしてそんなに鬱々として人生を過ごすのか、パーッと自分の好きな事をして存分に生きよ。「世間は、ちろりに過ぐる、ちろり、ちろり」庶民は弱いが、しぶとく、強い。
 今世界に蔓延しつつある新型肺炎SARSはヒトの傲慢さに対する警鐘かも知れない。全ての人にとって死は至近の距離にあり、生の末端に過ぎず、生きることに意味があるかどうかも最大の疑問の一つであるが、「意味ある生」と同様「栄光に包まれた個々人の死」もまた遠く隔たりつつあるように思える。すでに鎌倉時代に「死は前よりも来たらず、かねて後ろにせまる」と兼好法師が喝破している。
                                  聖マリアンナ医大新聞 論説 2003年5月
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