大連物語] その三

                                                     松橋二郎

 10時

 工芸部経理(部長)金栄舜氏から対日輸出に関して意見を求められる。竹、木、紙などを使った雑貨品の日本市場開拓に協力してほしいとのこと。確かにコストは安いが、デザインに難色があり売れるようには思えない。適当に応対しておく。金さんは38歳。社内では宴会部長の別称がある。現部門に転属されるまで日本取引先全般の接待を担当していてその呼称がついた。つい最近離婚。半年足らずで再婚。相手は13歳の男子を持つバツイチのコンピュータプログラマー。大連では離婚は珍しくない。女性は職業を持つのが通例であり、単なる夫の被扶養家族でないから、自立心が強い。金さんの前夫人は毎夜、毎夜の深夜ご帰館が気に入らなかった。金さんは仕事でやむを得ずそうなっていたのだが、夫人の解釈はそうではなかった。遊び好きと断定したのである。夫婦間には可愛い女の子がいたのだが親権は母親が取った。金さんはパソコン上で毎日娘の顔を見るのが日課である。複雑な思いがはしる。そもそも夜の大連逍遥を求めるのは日本人客である。その客たちと談笑している金さんの孤独に思いを馳せる日本人客は少ない。金さんの住まいは再婚してから買った。招かれて訪問したが、120平方米の瀟洒なマンションである。中国離れしたメタリック素材を駆使した現代的デザインの内装である。最近、自家用車も買った。ワーゲンのポロである。価格は日本円130万円ぐらい。結構安くなった。家と車のローンで毎月4000元出てゆく。もつとも家のローンの返済期間は7年間。車は3年間。わたしの息子の場合と比較するときわめて短い。消化能力の高さに感心する。ちなみに金さんの月収は3500元。ボーナスは笑って答えない。夫婦の夢のひとつは、一粒種の息子に教育投資してゆくゆくは外国に留学させることである。トヨタをはじめとする耐久財の中国市場展開をはかる各社の典型的顧客層の特徴にまったく合致していて驚いた。

 11時

 シン社長出社。通常は10時頃出社。星海公園付近の高級住宅地に延べ400坪の邸宅を持つ。子供の教育用として最近中山広場付近の高級マンションも購入。カナダの市民権も獲得、同地にも会社設立。事務所兼用の家も買った。47歳にして大連屈指のビジネスマンとして知られる。今日の成功までの軌跡は今回割愛するが、文化大革命の終焉時期との微妙な交錯が今日の結果となつた。それはそれで波乱万丈の個人史である。

 今日の主要なテーマは三つ。

 ひとつは逼迫する稲わら生産状況の中にあって、弊社必要量の全量供給の要請。昨今の日本政府方針による生産規制(監視システムの複雑化による実質生産制限)の内容および今後の中国側の対応の説明。中国のWTO加盟に伴い、中国政府による輸出優遇措置は順次改廃され、市場間自由競争を原則とする法改正が急ピッチで進んでいる。それを受けての稲わらの輸出入環境の変化についての概況報告を聴く。

 次に、雪龍が最近進出した中国市場向けの和牛生産に関して。

 現在、北京政府関係省庁に申請中の発酵飼料用乳酸菌の進捗状況。日本産の優良な乳酸菌の対中輸出を計画しているが、ものがものだけにすんなりとは行かない。これは仕方がない。微生物を安易に移動させると思わぬ生態系の破壊に繋がりかねない。認可されれば雪龍の自家使用だけでも5000頭対象となる。将来の楽しみとして今後も継続情報交換して行くことで一致。

 席上、和牛生産の川下ビジネスの一環として、日本式焼肉店の早期開店の話が出る。大連一の店を作りたい。中国産牛肉の品質は低く、現在使用されている食材はほとんどオーストラリア産であり、高級目玉商品としてアメリカ産を申し訳程度に使っている。ここに和牛のF1を投入すれば勝敗は自ずと明らか。パイロット店として開店、全土展開を図りたい。1号店開店資金として2億円までなら投じられる。協力してほしい。突然の話とスケールの大きさに圧倒される。現在はリタイアーしているが、現役社長の頃、一から立ち上げて20店舗規模までのチェーン店を作り上げた友人を思い出して、わたしではてこに合わないからその友人に話をつなぐことにする。シン社長は興奮して費用を持つから市場調査を兼ねて大連に来てもらうか、自身が日本訪問して話をしたいと性急である。(この話は、その後、友人を帯同して大連を訪問し両者意気投合して2004年中にも開店見込みで進行中)。

 12時

 付近のホテルのレストランで簡単な食事をする。シン社長のおごりである。中国とのビジネスにあって食事はきわめて重要な位置を占める。商談の仕上げも実は食事をしながらすることが多い。食事に酒は付き物であるが下戸のわたしは断って一切飲まない。それを徹底しておかないと誤解の温床となりかねない。中国の習慣でも酒が不得手のひとに無理強いをすることは良くないとされる。一方、最初に日本人風に遠慮していったん杯を口にすると厄介である。何回も逢えば自ずと判明することだが、そうでない場合、呑めるのに呑まないと受け取られる場合がある。面子を重んじる中国人の習慣からすれば失礼なことになる。沿岸部ならともかく内陸部に入って行けば行くほどこの傾向が強い。その辺りで酒といえば通常、火をつければ燃え出すアルコール度の高い蒸留酒であるから、下戸にとっては文字通り命をかけた戦いにもなりかねない。

大連にあっては、相手の面子を壊すことなく如何に公式の会食を少なくするかが重大な関心事となる。雪龍の場合、社長夫人(執行役員社長)、シン社長と書いているが、正式には董事長というCEOとの会食はなるだけ昼食にとどめ、夜は担当部長や女子社員とともにすることが多い。三度に一度は当方の招待として、女子社員にはなかなか行けない海鮮料理店に行くことが多い。品数12〜3品。飲料こみで日本円換算ひとりあたり1200〜1300円ぐらいである。食後、一旦、ホテルに引き上げて休息する。当地では分刻みのスケデュールなど縁遠いものである。せいぜい午前1件、午後1件に留めることが肝要である。一般的に言って時間遵守の習慣は確立していない。慣れぬ間はいらいらしたり、不信感を抱いたりしたが今では慣れてしまい、なんとも思わぬようになった。その代わりなんらかの要因で当方が遅刻しても相手は鷹揚である。稲わらの取引先開拓に奔走していた頃、数回のドタキャンの末、面会できたことがある。相手は平然としていた。当時、憤慨したことが懐かしい。

 畏友に高見さんがいる。高見さんは、ここ20年来、黄土高原にある大同をホームグラウンドとして植樹し続けているNPO[緑の地球ネットワーク]の創設者兼事務局長である。いまや外務省や財界までもが中国への環境問題に関する指針作成のレクチュアを受けに来る知る人ぞ知る斯界のリーダー的存在である。立ち上がり時期にほんのすこしの尽力をしただけだが、切れることなく細い糸でつながっている。その高見さんから中国人との接し方について教示を受けたことがある。

 五つの「あ」を常に銘記せよという内容である。優先順序もあったが忘れた。五つの「あ」とは、「あせらず」「あわてず」「あてにせず」「あなどらず」「あきらめず」。言いえて妙であると思う。

 わたしの実感からすれば、どちらかというと内陸部の国際交流の少ない地域にあってはけだし名言であるが、国際貿易の発達した沿岸都市にあつては少し事情がちがうかなとも感じる。そこでは、ビジネスの進行に不可欠なスピード、確実性、約束遵守等の習慣が明らかに確立されつつある。特に、信義には信義で応えるという美習は少なくともわたしの周囲では随所に見られる光景である。もっとも、わたしが取引相手に選ぶ際、そういった資質の豊かな人びとかどうかを慎重に見定めるようにしているからかもしれないが。

 わたしの支払決済の方法は、TT決済といって、出航前に送金する方法である。相手に対する絶大な信頼がなければ成り立たない決済方法である。割り箸工場が相手の場合、春節前には相当の前渡をして、仕入や賞与等の季節資金の応援をする。相手の経営者が自分の息子ぐらいの年齢ということもあって、ついついその気になってしまう。相手は決して自ら口にはしない。そのようなことを取引先に要請するのを恥ずかしく感じる心性の持ち主だからである。その代わりといってはなんだが、意気に感じて最大の価格サービスを自発的に提示してくれる。結局、わたしとしても得なのである。

 稲わらのシン社長とも似たような関係にある。シン社長はとりわけ信義に厚い。さらに情誼を重んじるひとでもある。検疫問題をめぐって日中間に齟齬があり、一昨年の殆んど輸出が止まった。主力商品が業績に寄与しない一年間は、高収益企業といえども企業存立の基盤を揺るがす大変な一年であった。懸案が片付き輸出再開となった昨年1月、わたしは仕入代金の前渡金として10万ドル送った。後に聞いたが、わたし以外にもそのような方法で応援した取引先は数社あつたらしい。正常時のとき年商40億円に及ぶ雪龍にとってはまさに九牛の一毛に過ぎない金額ではあるが、わたしにとっては大金である。その申し出をしたときシン社長は直情径行のひとらしく目を潤ませていた。

 雪龍の取引先は、そうそうたる顔ぶればかりである。住金物産、グンゼ、トヨタ通商等々。

それらに伍して、わたしの会社/新京都洋行はいちばん小さな取引先である。しかし、軽量の利というか、生産制限下の体制にあっても希望量は優先的に廻してくれる。結局、得なのである。割り箸工場ともども資金提供時にはそのような計算をしていた訳ではないが、結果としてはそうなっている。

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