北端の礼文島で見た金星の日面経過

 快晴の礼文島にて、68日金星の日面経過(金星過日)の一部始終を観測した。この日に先立つ1ケ月前より準備に入った。この時期は梅雨に入るので、横浜の自宅での少し大きい望遠鏡による観測は難しいと判断し、携帯用に口径65mmの五島光学の赤道機を改造し、大型接眼レンズLE30を用いて、全長1,300mm・合成焦点距離2,200mmの太陽面撮影用の望遠カメラを組み上げた。これで撮影するとフィルム上に直径22mmの太陽と直径0.7mmの金星の実像が写ることになる。

 1週間前より全国各地の週間天気予報をTV専門チャンネルで調べた。南西から北東に伸びる梅雨前線がスッポリと全国を覆い、唯一北端の宗谷地区のみが、68日の午後より晴の予報であった。さらに二日前の予報では、当日午前・午後ともに晴の予報に変わった。小躍りして、7日の稚内直行便とホテルを予約した。観測の場所は、稚内よりも更に西方の礼文島に決定した。

 雨の降る7日朝、全重量3.5kgの望遠カメラをゴルフクラブの携帯用ケースに納め、羽田空港へと向かった。眼下の雲の様子を追った。ずっと梅雨前線が続いていたが、名寄上空を過ぎると雲が薄くなり、幸い稚内空港では晴れていた。ノシャップ岬でのサンセットは、素晴らしく翌日の晴天が約束された気分となる。

 翌朝、雲ひとつない快晴! 7時半の礼文島・香深港行きに乗船。残雪を抱く利尻富士(写真)を眺めながら、穏やかな海を約2時間。午後の金星過日までに時間があるので、昨年も利用した定期観光バスに乗る事にした。この時期は、可愛い卵形の「レブンアツモリソウ」(写真)が咲いている季節なので、島北部の久種湖の先にある「アツモリソウ」群生地を見学。ブルーな海の澄海(スカイ)岬や北限のスコトン岬(大きな谷のある入り江の意)の見学を終えて南の西海岸・桃台・猫台へ。桃岩(写真)は、隆起した高さ250mの堆積岩の縦縞模様が見える壮大な桃そっくりの形の岩である。この島は、ちょうど今尾瀬と同じように桃岩付近には高山植物が真っ盛りである。

 ここで観光バスの皆さんと別れ桃台を下る。丁度見晴らし用のやぐら台があり、ここでの撮影を決心する。準備中より隣の「桃岩荘ユースホステル」の客などが覗きにくる。

 いよいよ予定の1412(東京に40秒遅れて)太陽の左に凹みを確認。同32分金星の輪郭が伸びるブラック・ドロップを目視。シャッターを切り撮影後、今度は望遠鏡のレンズで直接白い紙面に実像を投影する。白く光る太陽に内接する黒い金星の姿がハッキリと見える。一緒に眺めている人達がデジカメで紙面の像を撮影する。15分毎に写真を撮る。(写真)1545分まで撮影を続けて路線バスで、香深港へと戻る。

フェリー乗場で写真を撮っていると、80歳位の男性に、金星の食が見えますかと質問を受ける。カメラを外して、白い紙に太陽を投影すると大変に感謝される。付き添いの20歳位のお孫さんに「お爺ちゃん良かったね」と喜ばれる。稚内へと向かう船上で、双眼鏡にサングラスを装着し、太陽の前をゆっくりと経過していく金星を眺めながら、宇宙の悠久さを実感する。130年前、横浜・山手でメキシコ隊から教わりながら、金星過日を眺めた我々の祖先は驚嘆したに違いない。

 長い間楽しみにしていた天文ショウを心行くまで観察でき、深く感謝をしている。今回濃厚なサングラスのため金星のリングは見えなかったが、次回の2012年の金星過日にはビデオ撮影により確認をしたいと考えている。

(備考)「金星過日」の言葉は、文部省の文教顧問モルレー氏(米国人)が1874年・金星の日面経過の報告書を文部省に提出した表題が、「金星過日」であった。

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