バイリンガル孫と戯れ

 アメリカのサンタバーバラに住む我が孫は2003年9月の誕生日で4才になった。3才から通い始めた保育所で彼女ができて英語力が一段と上達しているという。私が会ったのは3才になる少し前で、話すのは少しの単語だけで、それも想像力を駆使しないと理解できない舌足らずの喋りであった。4才の子の上達した英語についていけるのか、かなり不安はあったが、ゆっくり遊んでみたくなった。そこで暮れの休暇を少し早めから取って、10日間の日程で息子の住むサンタバーバラへでかけた。

 12月22日午後4時、マイケルジャクソンが逮捕されたという、小さなサンタバーバラ空港へは息子一家3人が出迎えてくれた。孫は1年半前に会ったきりのおばあちゃんに、人見知りすることもなく、笑顔で迎えてくれた。「この子人見知りしないの」「そうなんです、誰にでも愛想がいいので誘拐されないかと心配なんです」嫁姑の最初の会話であった。

 家に着くと孫は早速、子供部屋から玩具を持ち出してきた。私も紙風船、巻き取り笛など、2人で遊べる物を選んで日本から持っていったので、早速ボストンバッグを開けて、お土産などを出して遊び始めた。舌足らずの幼児語で喋りまくる孫との会話は、終始日本語で楽しかった。早めの夕食の後、嫁がベッドの準備をして私の枕を持ってきた。今日はお疲れだから早めに休んで下さいとの配慮であった。おばあちゃんべったりの孫と、お風呂に一緒に入り、そろそろ寝ようかと横になっていると、いきなりマインと言って枕をとりにきた。保育所ではお昼寝の時間があるようなので、枕取り遊びもしているのだろう。まだ遊び足りないということか、保育所で使う英単語が初めて出てきた。

 次の日、今年最後の通園の日というので、「旅の疲れ」などと言っておれず、お弁当を持ってお母さんの車で保育所へ行く孫に同行した。この日は生憎の雨天。「此処は1年通じてあまり雨は降らないのに、お袋が雨をもってきたのだ、到着した昨日の早朝には地震がゆるし、お袋は普段の心がけが悪いのだ」など、息子にさんざん誹しられながらも、孫の彼女見たさに車に乗り込んだ。しかし、雨天では外に出られないので、園児はみんな並んでビデオ鑑賞と言うことで、友達遊びなどは出来ない。したがって、どの子が孫の彼女か全然見分けられない。私は英語のアニメビデオなど見たくないので、保育終了まで、嫁の運転で街の見物に出かけることにした。孫はお母さんと別れるのも、さほど気にならないのか、「夕方お迎えに来るからね」といっても振り向きもしないで、ビデオ鑑賞に夢中の様子であった。

 夕方4時過ぎ、途中で大学帰りのお父さんを拾って、3人で保育所へお迎えに行った。いたいた、孫は金髪の彼女と並んで、マフィンを美味しそうに食べていた。今日はお昼寝が長くて昼食のお弁当を食べなかったので、今頃になってお腹が空いた様子なので、おやつを食べさせているのだと言うことであった。保育は今日が今年最後で、年明けまで休みに入る為、個人の枕、下着などを持ち帰らなければならない。お母さんが要領よく整理している間、保母さんは、しゃがみ込んで孫の目線にあわせ、何やら話しかけていた。私にはメリークリスマスとハピーニューイヤーの単語が聞きとれた。「又来年元気で来てね」みたいな話だったのだろう、孫は黙ったまま「うんうん」とうなずいていた。

 クリスマス休みに入った24日からは、ずっとおばあちゃんと二人っきりでの遊びである。マインの次に出てきた英語はベイビーであった。お母さんに甘えたとき「たっ君は赤ちゃんだね」と言ったら、真顔で反論しだしたのである。「ベイビーじゃないよ、僕にはこんなに沢山歯があって、何でも食べるよ。ベイビーには歯がなくミルクだけ飲むのだ」と言う。その時は「そうかそうか、きれいな歯がいっぱいだね、何でも食べてお父さんのように大きくなろうね」で終わった。その時私は「赤ちゃん」と「ベイビー」の持つニュアンスの違いを理解しないままであった。その後遊びに夢中になってお漏らしをした。孫に「ああら赤ちゃんね」と言ったら、今度はむちゃくちゃ怒りだした。「ばあちゃんは悪者だ!今に罰が当たるのだ」と言う。遊びにかりたて、お漏らしするまで尿意に気づかせなかった私も反省すべきであったのだ。自尊心をかなり傷付けられた孫は、その後夕食の用意が出来ても、子供部屋に立てこもって出てこない。「おばあちゃが悪い、おばあちゃんは悪者だ」の一点張りである。「たっ君の大好きなクリームシチューだよ」とお母さんが呼んでも出てこない。心配した息子の説得がふるってる。「世の中には口の悪い人はいっぱいいるんだ、そんなことで怒ってたら生きていけないよ」である。自分の親をさして「口の悪い人」とはよく言うよな、と思ったが、それで孫が納得したから驚きである。彼らが食卓に着いたときには、口の悪い人は1人でビールを3本も空けて(やけ酒)ご酩酊気味であった。そして3人は冷めたクリームシチューをがつがつ食べ始めた。後から考えるに人格を否定する「ベイビー」に翻訳できる、「赤ちゃん」でなく、「ねんね」とか「あまちゃん」と言っておけば孫に悪者呼ばわりされなかっただろう。ミニジェントルマンの自尊心を傷つけない配慮が必要であった。国際交流の難しさを実感したところである。

 27日、仕事が休みのお父さんも一緒に動物園に行った。ラビット、スネイク等は英語で教えてくれたが、さて次にひかえる「いんこ」はどういうのか、と私が迷うまでもなく、チュンチュンと教えてくれた。「いんこ」のみならず、フラミンゴも小鳥も皆チュンチュンであった。この調子でいけば、「赤ちゃん」さえ絶対に使わないように気を付けておれば、幼稚園レベルならバイリンガル孫にあわせて、大丈夫仲間になれると意を強くしたところである。

 9日間たっぷり遊んで、明日帰る日が来た。「おばあちゃんは明日日本に帰るからね」といったら「僕も日本に帰りたい」と言う。「じゃあ、おばあちゃんと一緒に帰ろうか」との誘いには「お母さんも一緒に」と言う。やっぱりダメか、と思ったところ、子煩悩な息子が「3月まで待ったら久しぶりに3人で日本に帰ろうか」と言ってくれた。孫はそれで納得、私にとっては年末休みをまるまるつぶして地球の裏側まで旅してきた最大の収穫であった。

平成16年1月13日 藤原 靖                                              

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