第3回 華岡青洲の使った毒 烏頭・曼荼羅華

  紀州の人華岡青洲は、世界で最初に全身麻酔による乳がんの手術を施した人として知られています。有吉佐和子の「華岡青洲の妻」には、「この手術は、単に華岡青洲の名を上げるに足る偉業であっただけではない。それは近世外科界で実に世界最初の全身麻酔による手術であった。アメリカ合衆国のロング医師がエーテルを用いて実地手術を行ったのは1842年であり、1831にスーベローの創製したクロロフォルムを使って英国のシンプソン婦人科医が手術したのは1847年、華岡青洲より37年から42年後のことなのである」とあります。

昔、秩父山系を散策していた時、やはり全身麻酔をして帝王切開を行なった秩父村の医者のことを顕彰碑で知りました。彼の名は忘れましたが、たしか、華岡青洲の用いた麻酔剤を使用した様に記憶しています。青洲が全身麻酔に用いた麻酔薬は、通仙散と呼ばれています。通仙散は烏頭 (うず)、曼荼羅華(まんだらげ)が主成分で、その他に川きゅう(せんきゅう)、当帰(とうき)、白し(びゃくし)等10種類に余る植物を含みますが、その全容は残念ながら伝わっておりません。

烏頭はブシあるいはオウとも言われます。漢方では、鎮痛、新陳代謝の機能亢進、強心のために使用されます。曼荼羅華は鎮痙、喘息、鎮静、鎮痛に、川きゅう? は強壮、鎮痙、補血、鎮静に、当帰は強壮、鎮痙、通経、鎮静(婦人病)に、白?は浴湯剤、婦人病に有効とされています。

     きゅう(せんきゅう)          当帰(とうき)          白し(びゃくし)

烏頭は、トリカブトの根を使かってつくられた製品(漢方薬)を指している言葉ですから、トリカブトそのものではありませんが、今は烏頭=トリカブトとしておきます。同様に、曼荼羅華はマンダラゲあるいはキチガイナスとかチョウセンアサガオといわれます。「川? 」は、センキュウまたはオンナグサ、オンナカズラ、フジニンジンともいわれます。当帰はトウキ。「白?」はヨロイグサともいわれますが、牧野富太郎著の新日本植物図鑑には載っていません。トウキやセンキュウと同じセリ科のようです。

トリカブトは殺人にも使われたことがあるので、記憶のある人もいるでしょう。トリカブトの毒は根だけでなく、トリカブトの全てに存在しています。その毒の主成分はアコニチンと呼ばれています。マンダラゲの有効主成分はスコポラミンとヒヨスチアミンといわれる物質です。これらの化学物質は神経中枢に作用しますので、麻酔剤として有効なのでしょう。またそれ故、毒草としても有名な植物です。 6月のTVで、マンダラゲの根をゴボウ(ゴンボ)と間違えて食し、危うく命を失いそうになった人がいたと報道されました。根だけ見ると、ゴボウによく似ているのです。その人の話だと、幻覚を見た後、呼吸困難に陥ったということです。

マンダラゲは梵語で、雑色を意味し、法華経に「仏が法を説く時、天雨曼陀羅花」とあることに由来するとモノの本にはありますが、それが何故、植物の名になったのかは書かれていません。この植物は江戸時代に薬用植物として輸入されました。チョウセンアサガオ(学名は Datura metel、ダツラ メテル)という別名から朝鮮半島が起源のような印象を与えますが、朝鮮とは何の関係もありません。この植物のキチガイナスという別名から、私には、日本人の朝鮮人に対する差別感があらわれているように思えてなりません。最も、トリカブトの学名がAconitum chinense (アコニツム シネンセ)ですが、これも支那(中国)とは何の関係もありませんので、一概には言えません。

    トリカブト                  曼荼羅華(チョウセンアサガオ)

青洲は、江戸時代末期の人で当時の医者として、本草学を当然のこととして習得していたでしょうから、漢方で使用される薬草の収穫方法、時期、収穫後の処理の仕方等々については十二分に心得えていたはずです。それでもなお、漢方と青洲が行なうとしていることとの間には、非常に大きな開きがあります。これら植物からの有効成分の抽出方法(薬研でつぶすのか、石臼でするのか、煮出すのか、水でだすのか等々)や10種類以上もの薬草の投与方法だけでも、気の遠くなるような実験を繰り返さねばなりません。犬や猫を実験動物として使用したらしいので、実験に供された犬猫の様子を見た里の人々は、青洲一家を奇妙な目で見ていたのではないかと推察されます。もしも、私がそれをやったとしたら、「あいつは意地汚いから、キチガイナスを食べておかしくなりよった。近寄らんほうがエエで」と言われたことでしょう。犬猫で実験が成功しても、最後は人間で試さねば手術にはつかえません。その実験台として青洲の母と嫁が登場し、嫁と姑との青洲を巡る心理的葛藤が「華岡青洲の妻」に描かれています。

神経系に作用する成分を持つ植物は、多く知られています。南米で使われていたクラーレと呼ばれる矢毒は有名です。クラーレの素となる植物は1種類ではありません。クラーレを塗った矢で射られた動物は、生きているのですが動けません、運動神経系が麻痺しているのです。同じような作用を持った毒は動物にも存在しています。卵を産み付ける獲物を狩する蜂の出す毒も同様の作用を持っていますから、卵からかえった幼虫は、親蜂が狩をしてきた新鮮な獲物(生きてはいるが動けない)にありつけます。漢方で、蜂の毒を使っていたなら、青洲は蜂をおかけていたのではないでしょうか。その時には、トンボ取りと同じようにやっぱり「ラポ〜エ〜」というのでしょうかね。

 クララ(クサエンジュ、キツネノササゲ、マトリグサ、ウジコロシとも言う)という豆科の植物があります。クララを原料とした漢方薬をクジン(苦参)ともいい、回虫の駆除剤として用います。クララという名は種子を食べるとクラクラするということから来ています。クララにも神経毒としてのよく似た作用があるのでしょう。

ジャガタラお春がオランダ屋敷で見たマンジュシャゲ(ヒガンバナ)にも同じような毒があります。未練を残す出船を見送った目に赤いマンジュシャゲが写っていたのでしょう。マンジュシャゲは毒草としてよく知られていますが、これが日本全国に広がったのは、恐らく、飢饉のせいです。マンジュシャゲは天明の大飢饉(特に東北地方で)を救った救荒植物としても知られています。マンジュシャゲにはでんぷんが多量に含まれていますので、調理方法によっては食べることができるのです。

上にあげた植物のような「毒」を持つ植物は、植物の中で特殊なものではありません。全ての植物が何らかの「毒」をもっています。私達の食料になる植物は、人にとって比較的毒作用のないものを使ってきたか品種改良によって「毒」消したかですが、食べることができる植物の範囲を大いに広げたのは、調理方法の開発でしょう。米(イネの種子)や玉葱、大豆、筍等々にも「毒」はあります。これも上手く利用する知恵が、医食同源という言葉の内容でしょう。

全くの余談ですが、私は玉葱が好きです。学生時代にゲルピンになり玉葱を買ってきてスライスにし、少し水に曝した後、鰹をかけてどんぶり鉢一杯食べたことがります。その翌日、止めどもなくゲーリークーパーさんのお出ましでした。1日ゲーリークーパーに曝された後は、スッキリしましたので、腸の粘膜は大丈夫だったのでしょうが、腸内細菌が玉葱の毒に対抗し切れず死に絶えたのではないでしょうか。


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