素人オーケストラ入団の記

昨年の暮から30数年ぶりに弦楽器の演奏を再開し、地元のアマチュア管弦楽団に入団させてもらい、ビオラの末席に座り、毎週金曜日の夕刻、年2回の定期演奏会のための練習に欠かさず参加している。

バイオリンを習い始めたのは高校2年からで、すぐ上の姉が近所のバイオリン教室に通い始め、何か楽器をやりたいと思っていた私も、音楽など軟弱の徒がやるもので男がやるものでないという明治生まれの父に頼みこんで、楽器を買ってもらいレッスンを受けることになった。

習い始めのバイオリンの音は人に不快感を与えるため、夏の暑さや冬の寒さに耐えながらほこりくさい倉庫の中で練習したのを思い出す。

大学では管弦楽団に入団しバイオリンを弾いていたが、バイオリン弾きとしては晩学のため大成しないと判断し、ビオラに転向した。バイオリンよりひと回り大きく、オーケストラの中音部を受けもつビオラは当時から人手不足で、いろんな大学のオーケストラへの応援出演にかりだされ、けっこう演奏経験をつむことができた。

社会人になって4,5年は会社の仲間と室内楽を楽しむ程度で、たまには頼まれて応援出演したりしていた。どこかアマチュアのオーケストラに所属したかったが、特定の日時の練習に常時参加することは勤めの関係で不可能で、諦めざるをえなかった。それに自宅でバイオリンを弾きはじめると、当時1,2歳の娘がひきつけを起こしたように泣き始めるなどもあり、楽器に触れることが徐々に減っていった。高度経済成長の手先として仕事も忙しく、仕事に付随する酒、ゴルフ、マージャンなど、付き合う相手も変わり、弦楽器への興味が薄れていき、いつか再開したいとは思いながら、腕も楽器も錆びついたまま、30年余りが経過した。

3年前に会社を定年退職し、第二の人生にと中国整体術の塾へ通って整体師となり昨春から整体院を開いているが、あまり繁盛していない。末娘の友人で整体院の数少ない顧客でもある近所の娘さんがバイオリンを習っていて、そのバイオリンの先生と私が30数年前に一緒に室内楽をやっていたことがあり、その先生からのお誘いがあり、思い切って地元のアマチュア管弦楽団に入団させてもらった。受け持ちパートはビオラ、昔と同じでビオラは人手不足らしく、入団試験もなかった。

入団した枚方フィルハーモニー管弦楽団は来年創立50周年を迎える歴史のあるアマチュア管弦楽団であるが、昭和40年前後、大手前高校の同期で、昨秋急逝した木下義郎君がこのオーケストラでフルートを吹き、副指揮をしていた。当時バイオリンを弾いていた奥様の瑶子さんとの出会いもこのオーケストラでのことで、お二人は昭和42年に結婚されたとのことである。

思えば、木下君とは好敵手で、彼は防衛大学を目指す国粋主義者を標榜、左翼にかぶれかけていた私とよく他愛ない議論をしたものである。いずれ木下君は自衛隊幹部となり大勢の部下を指揮する人になると思っていたが、社会人になって再会すると、家業に携るフルートを吹く素人オーケストラの指揮者になっていたのでびっくりしたのを思い出す。

オーケストラの指揮者には指導力とある種のカリスマ性が必要なのだが、木下君の指導力とカリスマ性の素質は、大手前高校の卒業アルバムを見れば明らかで、我らが卒業写真集「あおぎり」なかほどの理研部の写真のど真ん中に彼は指揮官然としてデンと座っており、顧問の中塚先生が彼の横に窮屈そうに座っておられるのを見ても一目瞭然である。

昭和30年代の終わりごろか、木下君がフルート持参で我が家を訪問、弦楽仲間と室内楽を楽しんだのも今では遠い思い出になってしまった。晩年の彼は奥様などと設立した都島のアマチュア弦楽合奏団で指揮者を務めていたそうである。私もあと4,5年早く楽器演奏を再開し、彼と音楽を楽しみたかった。

わが枚方フィルは学生や子ずれのお母さん、子育てを終えた主婦、退職した70歳台など総勢70名余りで、常時出席は40名程度。中心となるのは働き盛りの3040歳台で、仕事を終えてバスや電車で私鉄の小駅から徒歩20分の小学校の音楽室の練習場に馳せ参じる。なかにはいつも1時間ほど遅刻せざるをえない人もいる。殆どが学生オケの経験者で、弦楽器の水準は高いが、管楽器も充実しており、私の学生時代には本番でしかお目にかかれなかったイングリシュホルン、ファゴット、テューバなどの楽器をアマチュアが持っていて、うまく吹くのにはいつも感心している。いまのところカリンニコフというロシアの作曲家の交響曲1番、メンデルゾーンの真夏の夜の夢序曲、ベートーベンのピアノ協奏曲3番などの曲を春の定期演奏会にむけて練習中である。

ビオラを再開し始めたころは、指は動かず、音をはずし、弓もスムースに弾けず、右手と左手のバランスがとれず、5線譜がボヤケ、肩は懲るわ、腰が痛むなど大変で、前途を危ぶまれたが、体が覚えていたのか徐々に手が動くようになりはじめた。

うまく弾けたからといって誰も誉めてくれるわけではないが、金曜日の夕刻、私はワクワクしつつ若者たちにまじって緊張している。
                                              佐々木 秀雄

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