人間の臓器は部品か?

平成9年、日本においても臓器移植法が制定され、その法律にそって平成11年高知日赤病院においてドナーカードを持った人から臓器移植が実施された。それ以来、日本での脳死者からの臓器移植は着実に定着しはじめているように思う。臓器移植により、何日間か、場合によっては何年間も生き長らえる事が出来る「尊い命」が有り、本人はもとより、多くの家族や親族に喜ばれるなら、「それでもいいか」と思わなければならないと自分で自分を納得させようと努力してきた。しかし、自分自身をそのように納得させようと努力すればするほど、人間の臓器が何か機械の部品のように考えなければならない矛盾に、釈然としない思いがつのる。

機械は、それぞれの完成した部品を集めて、組み立てられている。どれか1つの部品が破損したりして機能しなくなれば、その部品だけ取り替えれば問題なく動き出す。一方人体は生まれ落ちた時点で、どの臓器をみても、完成品にはなっていない。外界に生まれ出て、呼吸をして、循環が始まった時点でも成人のそれと比較すればまだまだ未熟なものである。

又、人間の身体には、ホメオスタシス(恒常性)と呼ばれる機能が有る。血圧・体温・脈拍数など個体固有の一定値に保つことにより、その個体を形成するすべての臓器がより良く活動できるように調整する機能である。又、免疫機能もある。病原菌が体内に侵入すると、その個体内で抗原抗体反応が発生する。感染を受けた個体が病原菌と闘う機能である。抗原抗体反応により免疫力を獲得した個体は、病気が回復した後、再感染しても発病しないような仕組みもできる。この仕組みを病後免疫と呼んでいる。余談ながら、この免疫機能を利用して、ワクチンが開発され、予防接種が実施されるようになった。この予防接種により、多くの幼い命が救われ、今も活用されていることは多くの人が知るところである。

この様な現象・機能は身体内の単一の臓器だけが活動することにより発現するものではない。体内のすべての臓器が有機的に活動して発現するものである。したがって、有機的に協調し作り上げた独自の個体における、1つの臓器が故障しているから、機械の部品のように、それを取り替えれば元の健康な個体に復元するとは考えられない。現実に復元されるどころか、移植を受けた人体では拒絶反応が起こっている。これは、移植された他人の臓器を、外敵・異物と認識して、自分の身体を守るべく攻撃している現象(抗原抗体反応)である。そこで、移植後はその攻撃をおさえるべく、一般的には免疫抑制剤が投与される。そのように免疫抑制剤の投与を受けた人体は、当然自然界に存在する様々の菌に対して免疫力が低下している。そして人間が生活する自然環境において、全く無菌状態の環境など、ありえないので、臓器移植を受けて、免疫抑制剤を投与された多くは、一般社会において生活する時には、常に感染の危険におびえ、多くの制約のなかで生活しなければならないのである。

その他度々、狭心症の発作を経験した人が、初期の軽い発作時は、しばらく休養したり安静にしていると回復する。この時の発作は、心臓の筋肉自体を養う為に栄養を運ぶ血管が詰まってしまった、と言うサインで、発作により適当な休養や安静を要求しているのである。そこで、身体を休め新陳代謝を少なくすることにより、心臓の負担を軽くしてやると、その間に、詰まった血管の代わりに、血液を運ぶ為の血管のバイパスが出来て心筋も復活するのである。しかし、そのような発作を何度も繰り返す間に、太い血管が詰まってしまった時には、自力でバイパスを形成すると言う事は期待出来ない、しかしほっておくと心臓が機能しなくなる心配がある。そこで、急いで心臓に血液を送る血管を合成繊維のようなもので作る。それでその個体の心臓が生き返る、と言うなら納得できるが、同じ心臓のトラブルでも血管でなく心筋そのものが駄目だから、心臓自体を取り替えると言う話になると納得出来ない。

人間の臓器は、夫々が独立して活動する「人体」と言う機械の部品ではなく、身体の中にあって夫々の役割を分担してはいるが、協調しながら、「人体」という有機体を作り上げているのだと考えなければならない。それなら、その中の一臓器が機能しなくなったから、という事でその一部分を取り替えても、全体としてはうまく作動しないと考えるのが普通ではないだろうか。

本来、医療とは病に冒された人体にたいして、その個体が持つホメオスタシスとか免疫力などの機能を活性化させる目的で、苦痛をやわらげ、生命力の復活を期待する施術であると考える。そこで、一つの命を助けると言う目的で、取り替えた他人の一臓器を生かす目的で、その個体全体の免疫力を故意に低下させる事が医療と言えるのか、大きな疑問を感ずる。

人体を臓器という部品の集合体とみなした、「臓器移植法」の活用の為、ドナーカードの普及を唱える前に、国民的課題として今一度「生命倫理」について考える必要があるのではないか。

藤原 靖

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