四国88カ所巡礼の旅
                                               藤原 靖

 新聞広告の徳バスサンデーツアーで「四国八十八ケ所巡り」を募集しているのをみつけた。三ヶ月で一巡出来るように計画されていたので申し込みむことにした。

 1番札所から88番札所まで順番に廻るのを「順打ち」、88番から1番へ逆に廻るのを「逆打ち」と呼ぶ。又、1番から88番まで一気に廻るのを「通し打ち」、阿波、土佐、伊予、讃岐と一国一国区切って別の日に廻るのを「区切り打ち」と呼ぶ。そして、1番から23番の阿波路を発心の道場、24番から39番の土佐路を修行の道場、40番から65番の伊予路を菩薩の道場、66番から88番の讃岐路を涅槃の道場と名付けられている(66番雲辺寺は阿波に位置するが、讃岐路に組み込まれている)。

 平成13年6月17日、日曜日、晴れ。78−83番の讃岐路であった。納め札にローソク、線香など一式と新しい手ぬぐい、毎朝使っている数珠を持ち、ジョギングシューズにパンツとトレーナーに帽子といった、気楽な格好で出かけた。徳島駅前を出発した大型観光バスが徳島県をぬけて香川県に入った頃、添乗員の発声に合わせて般若心経を唱えた。添乗員の役割にはおつとめの発声の他に、乗客の一人一人から納経帳、白衣、お軸を、その代金と一緒に集めることもあった。集めた物をリュックにつめて、乗客がお参りしている間に、納経所で署名捺印(墨書受印、御宝印)をいただいてくるのである。流れ作業式にいただいた捺印にどのような御利益があるのか、理解出来ない。しかも添乗員が代理で一括していただくのである。色々理屈の通らないことが有るから、信仰なのか・・・。無心になって、「おん まか きゃろにきゃ そわか」。昼食は讃岐うどんに、ちらし寿司。うどんは本場だけに美味しかった。

 ここで巡礼初日の車中で教わった、お参りの作法をご披露しよう。山門をくぐる前に脱帽して、本堂に手を合わせる。山門をくぐって中に入ると必ず手洗い場がある。手洗い場で手を清め口をすすぐ。そして、本堂、太師堂、その他寺にまつられる仏さんにロウソク、線香をお供えして、納め札を納めて、お賽銭をあげ、正面脇にさがって御詠歌やら、般若心経やら、お参りを思い思いにするのである。正面を空けるのは、次の参拝者の邪魔にならないようにである。四国88ヶ寺は全て空海縁の寺だが、宗派は様々で、天台宗や禅宗も時宗もあるという。

 平成13年7月1日、日曜日、曇り。66番から70番。66番雲辺寺への山道でバスに酔ってしまうと言うハプニングに見舞われた。生来私は乗り物に弱いたちで、遊園地のブランコでさえ酔ってしまう。深呼吸をして少し休んで皆に遅れないようケーブルで雲辺寺を目指した。晴れた日は展望が開けて、讃岐西部の街並や、瀬戸内海が見えるのだそうだが、当日は霧が懸かり、少し前を歩く人の姿もはっきり見えない程であった。が、かえって荘厳な寺の雰囲気が醸しだされ、有り難みが感じられた。ケーブルで上がると、お寺の裏に出るようで、山門をくぐることはなかった。裏道の両脇には数え切れない数の石仏が立ち並んでおられた。こんなに沢山の重い石を何処から誰がどのようにして、88ヶ所のうちでは1番の高地に位置すると言うこの地に運ばれたのか。そんなことを思いながら本堂を目指した。

 平成13年7月22・23日、日・月曜日。むちゃ暑いなか47番から64番(60番は除く)伊予路のお参りである。49番浄土寺のお参り終えて、山門脇で添乗さんを待っている時、荷物を一杯つんだ手押し車をおす人に話しかけられた。その人は13年間歩き遍路を続けて、今55回めである、そして、「錦のお札」を持っているとも言った。私が驚いて『55回も大変でしょ』といったら、『自分の年になったら、山の上の方のお寺は、上がってこなくてもいいとお許しを得ているので、麓でお参りするのだ』とのことであった。私は生憎、錦のお札がどんなものか、全然知らなかったし、誰に許しを請うのかなど、疑問もあったが、余り興味もなかったので生返事をしていた。そうしているとプイと私のそばから離れて、すぐ前にみえていた水道の蛇口の前にすすんで、いきなり5部刈りの頭を蛇口の下につっこんで、水浴びを始めた。私と話していたのを見ていたツアーの仲間が、『あの人女の人ですか、男の人ですか』と尋ねに来たが、声から判断して女だと思うが、確信はなかった。

 51番の石手寺は、今年の4月に同窓会の観光コースに入っていた。同級生の世話役から縁起話しもうかがった。しかし、その時は何のお参りの準備も出来てなかったので、お参りとしては今回が始めてとなる。「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」。

 58番仙遊寺は様々な謂われのある寺であった。中でも先代の住職にいじめ抜かれた現在の住職が、若い頃に舅の命令で苦労した「肥汲み」の重労働がこたえていたので、かねがね便所だけは水洗で清潔な物にしたいと願っていたそうである。近年、念願叶なって寺の修復を始めた時、1番に立て替えられた自慢のトイレが完成しているということであった。寺にも舅の根性悪、養子の悲哀が有るのか。御大師さんはどの様に観ておられるのやら。

 59番国分寺では、本堂に行く右手前に、丸い顔の石仏が立っておられて、握手修行大師と書かれていた。右斜め後ろに立て札があり、「修行大師様と握手をして、お願いして下さい、願い事は一つにして下さい、あれもこれもはいけません、お大師様も忙しいですから」と書かれてあった。日常の忙しさから抜け出してお参りしている者としては、お忙しいお大師様をわずらわす事もないので、握手はしなかった。

 61番香園寺は八十八か寺のうちで、唯一の鉄筋コンクリート造りだそうで、近代的な建物である。御本尊は建物の左側の階段を上がった、2階に祀られてあった。

 平成13年8月26日、24番から27番土佐路である。小雨降る中の、お参りであった。添乗さんがベテランで、色々とお寺の謂われ等の説明があった上に、室戸では24番の最御崎寺のお参りの後、番外で太師修行の洞窟へ案内していただいた。

 平成13年9月9日、日曜日、71番から77番讃岐路。71番の弥谷寺は88霊場のうちでは階段が多く1番の難所だそうで、足に自信のない人は、山の中腹までタクシーを雇ってあげます、とのこと。思案の末700円出してタクシー組に入れてもらった。

 75番善通寺は敷地面積が四国一だそうで、確かに広大であったが、観光客が多く、その為かなり俗化していて、有り難いお寺、と言うイメージからは程遠いように思えた。

 平成13年9月24−25日、37番から40番。土佐3カ寺と観自在寺のお参り。1泊2日で4カ寺しかお参り出来ないとは、効率の悪いツアーに思えるが、修業の道場に位置するだけあって、37番から38番の間は札所間、最長距離である。最近だろう、足摺スカイラインと呼ばれる自動車道が開通して、バスツアーは、かなり時間短縮ができるようになったそうであるが、それでも足摺岬の先端まで行き着くには、相当時間がかかった。足摺岬の先端に位置する38番金剛福寺参詣のあと、すぐ前の広場に立つジョン万次郎の銅像を見て、太平洋の荒波を眼下に見ながら熱帯植物が群生する岬を一周した後、その近くのホテル足摺園で泊まった。ホテルには太平洋を見ながらの展望風呂があり、早朝に入るとご来光が拝めた。入浴しながら、拝めたはないかも・・・。「おん ばざらたらま きりく そわか」。

 39番延光寺では、納経所に入る道に眼洗井戸があり、お地蔵さんが守っておられた。この水で眼を洗うと眼病が治るのだと書かれていた。さぞかしトラホーム等に悩まされた古の人々の、信仰を集めた事であろうが、公衆衛生の観点からは、いささか問題なきにしもあらず。とは思えども、今日は世俗を離れての、お寺参り、「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」。

 平成13年11月11−12日、41番から46番。45番岩屋寺は弥谷寺に次いでの難所だそうで、こちらは、タクシーも上がれず、歩くよりてがない。お参りを終えた人に、『お疲れさん、頑張って、もうすぐですよ』と励まされて、ジグザグにつけられた道敷きつめられた石畳を登り切ると、切り立った岸壁に囲まれるようにお寺があった。岸壁を見上げると、所々にくり抜いたような穴があり、仏さんが祀られてあった。クレーン車もあがらないこの様なところに、古の人はどのようにしてお祀りしたのだろうか。本堂などの建つ狭い空間が発する寺独特の雰囲気に圧倒され、しばし立ちすくんだ。山を降りて、国民宿舎古岩屋荘に泊まる。宿舎に入る前に、建物の左側につけられた小道に足を延ばした。谷間に入って少し歩くと、小川をはさんで、対面の岸壁の高い所に、不動明王が祀られてあった。あたりは文字通り真っ赤な紅葉で、紅葉狩りの観光客で賑わっていた。

 46番浄瑠璃寺に行く道沿いの岩場に、小さな祠があり、蛙となまずと蛇が祀ってあるのだという。添乗さんの事前の説明がなければ、見過ごしていたであろう、小さな祠であった。

 平成13年11月18日、18番から23番。20番鶴林寺の本堂前には、寺の名になる一対の鶴が、神社の「こまいぬ」のように、本堂前の左右に建立されていた。

 21番太龍寺。円形のロープウエイであがりきった所は、燃え立つような紅葉に囲まれた広場になっていて、それから境内までは、かなり高い石段を登らなければならない。ここでも、鉄製の手すりにすがって、沢山の石段をあがった。

 22番平等寺。天井が小さく桝目に区切られ、それぞれに花とか家紋のような絵が色彩で描かれていた。昔のことだから手書きだろう、絵師の奉納だろうか。覆いもなく、むき出しでは、いたみも激しいだろうに、もったいない、と思う一方、美術館のように、ガラスケースに入ってしまっては、有り難みもなくなる。文化財に直に親しめるのも、札所めぐりの良いところか。天井の絵だけではない、多くの寺でひさしの桟などに緻密な彫刻がされていた。これも風雨にさらされ、むきだしである。

 平成13年11月25日、84番から88番。84番屋島寺は山門前に、おみやげ物屋の並ぶ観光名所になっていた。

 85番八栗寺へは、ケーブルカーが15分間隔で往復していた。ここなら、近いし楽に来られるので、遊びがてらにでも来られるのではないか、もう1度来たいなと思いながら、長い参道を歩いた。

 86番志度寺は謡曲にもある「海女」の墓が建てられていた。海女の物語を思い出しながら、墓石を写真に撮った。

 88番大窪寺「結願の寺」である。88ヶ寺の一番奥に控えるだけの貫禄充分の寺である。今まで使ってきた金剛杖や残った納札など全部この寺に納めるのだそうだ。「都合打ち」の私には関係のない説明であった。此処も紅葉狩りの観光客で賑わっていた。

 平成14年1月13日晴れ、1番から11番。コートなしで歩ける暖かい1日であった。1番霊山寺は打ち始めの寺と言うこともあり、売店が大きく、観光地のように早朝から大勢の人で賑わっていた。

 2番極楽寺は極楽をイメージした建物で、荘厳と言う感じではなく、赤と白の目立つ中国的な感じの寺である。3番金泉寺の山門も同じく、柱が朱塗りであった。

 10番十楽寺は山門が竜宮を思わせるような造りで、一瞬足が止まったが、入ってしまうと、やはりお寺であった。阿波路は土佐、伊予、讃岐路と違って、ちょっと違った感じの寺が多いのかな・・・。

 平成14年1月20日、12番から17番。阿波路では一番山奥に位置する12番焼山寺。途中で大型観光バスをマイクロバスに乗り換えてあがった。山道には村のボランティアか、要所要所に無線を持った人が配置されていて、登り下りの車の対向を誘導していた。

 15番国分寺は禅宗の漕同宗であった。そのためか、素朴で質素、2番3番さんのようなムードはなかった。「南無釈迦無尼仏」。「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」。

 平成14年4月、14ー15日、28番から36番。第1日目は晴れ。28番大日寺では、奥之院である薬師堂まで足を延ばしてお参りした。

 第2日目は小雨。33番雪渓寺お参りの後、桂浜で昼食。1時間半の休憩があった。小高い丘に登ると、坂本龍馬の銅像が建てられ、桂浜が見渡せた。

 平成14年4月29日、60番と65番。60番横峰寺はマイクロバスに乗り換えてのお参りであった。大変な山道であったが、運転手はこの道専属のプロらしく、V字カーブを楽々と切り返していた。

 88番打ち終えた今、少し無理も通しながらも打ち終えた達成感に浸り、様々な人との出会いを振り返りながら、又何時の日か、お参りしたいなと思う。しかし、次回はやはり「歩き遍路」でなければとも思う。バスなら楽に廻れるが、山門をとばして、直接境内に入ってしまう時もある。裏道から廻ってしまって、門前町のたたずまいが見られなかったこともある。本当のお参りなら、やはり「歩き」でなければと思う由縁である。

          南無大師遍照金剛

                                 平成14年8月  藤原 靖

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