12月16日(金)はJR高槻駅に13時に集合して、西に歩き国道171号線沿いの横綱ラーメンで昼食。
13時40分に歩き始めました。171号線が芥川を渡る高槻橋で川沿いに少し登って、左折地蔵堂で写真を撮りました。

西国街道を西へ、14時20分頃今城塚古墳に到着、広いエリアをゆっくり散策しました。お堀の紅葉が美しく、冬桜も咲いていました。内堀の半分が水があり、南半分は空堀です、埴輪が沢山並んでいました。この古墳は学者間では継体天皇のお墓だと言われています。しかし西2kmにある太田茶臼山古墳が継体天皇陵だと宮内庁は言っています。この話も埴輪の作成場の話も絡めて面白いのですが今回は触れません。(墳丘の中まで入れるのはここが宮内庁の管理ではないからです)

継体天皇については色々面白い話がありますが、少しだけ説明します。天皇家は応神天皇から仁徳天皇、履中、雄略などが継いで武烈天皇に至って後継者が居なくなります。そこで5代遡った系譜から後継ぎになったのが継体天皇です。
(私見ですが、体制を継ぐと言う意味でこの名前が付けられたのかと?)
継体天皇の父方は近江湖東の息長氏と言う系統、母方は越前の三尾氏だそうです。何れも船(水運・水軍)に強い筋で、今城塚古墳の埴輪にも船が描かれています。淀川水系の三島(高槻周辺)は昔から水運も含めた交通の要衝、百済との交流や九州磐井との戦争など継体天皇の時代にやった様です。前述した淀川水系には淀川の他、芥川・天野川・木津川などがあり三島江津や岸部と言う港があった様です。「継体天皇と今城塚古墳」と言う吉川弘文館から出ている本を参考にしました。興味があれば図書館で探して見て下さい。
                                         (2022/12/25)


   
     外の埴輪はイミテーションですが歴史館の中のものは全て:本物だそうです。  今城塚古代歴史館の文字の左に船の絵があります。
この古墳の円筒埴輪に刻まれていたもので、継体天皇の海運との関連を示しています。


inserted by FC2 system