第157回は2022年5月6日(金)に10名で古市古墳群を歩きました。
10時半に近鉄阿倍野橋駅に集合、藤井寺のひとつ手前の高鷲で下車し雄略天皇陵へ。

 葛井寺(藤井寺)の藤はもう終わって全くの期待外れ、しかし聖武天皇の勅願寺で725年創建の
お寺は静かで良かった、毎月18日に開帳される千手観音は日本で一番古いそうです。

 藤井寺から南へ歩いた「アイセルシュラホール」の庭で昼食、修羅の形をした建物が遠くからでも目立ちます。修羅は巨石を運ぶ道具ですが、つい阿修羅を思い出しますね。食後すぐ西側にある仲哀天皇陵を北廻りで歩いて応神天皇陵へ。暑さが堪えて来て少し足取りが重くなりました。(このホールから岡本君は別行動)

 応神天皇陵は古市古墳群で一番大きいのかな、立派な前方後円墳でした。ここから一番近い近鉄の駅、
土師ノ里駅を目指しました。少しへばったお二人はバスを待つと言う事でそれに付き合う計3人を残して駅へ。ここから友人に会うと言う船戸君も別行動、田中・宮井・矢尾・松原・山川の5人は土師ノ里から準急に乗って阿倍野へ。天王寺駅の居酒屋で早速乾杯です。

 そこからメールを入れたらバスが来ず再度歩いてやっと道明寺駅に着いたと、御池君が遅れて居酒屋「赤のれん」に合流出来たのは30分以上後でした。6人で楽しく飲んで解散、赤井さんと納富さんも大阪駅で別途楽しい夕食会だったそうです。

 ここからは私の少年時代の思い出も含めた雑談です。近鉄阿倍野橋駅から三つ目に今川と言う駅がありますが、小学校5年一学期まで住んでいました。当時の近鉄線はドアが手動で車掌が先頭車両から順にドアを閉めて動き始めている電車の最後尾に飛び乗る姿を格好いいと憧れたものです。この頃は藤井寺から古市辺りまでの駅名を全部覚えていました。先に出てきた土師ノ里(はじのさと)や、布忍(ぬのせ)、恵我之荘(えがのしょう)など変わった地名が今でも記憶に残っています。最後に出てきた恵我之荘ですが、3段目2枚目の仲哀天皇陵古墳名に恵我とあります。これを調べて見たら、「古くは藤井寺から羽曳野北部一帯を餌香(会賀、恵我)と称した」とありました。

 
昭和25年(1950年)の二学期から中大江小学校に転校して、船場言葉とか進んだ授業、水泳や器械体操、野球などスポーツが盛んだった事などカルチャーショックを受けました。松原えいこさんや御池いづみさんと一緒に机を並べたのはもう70年以上昔の話です。

 雄略天皇陵 葛井寺(ふじいでら)  本堂中の千手観音は日本最古  本堂
 葛井寺  葛井寺  葛井寺  アイセルシュラホール
 仲哀天皇陵  仲哀天皇陵  仲哀天皇陵  応神天皇陵
 
 応神天皇  応神天皇 夕食飲み会  夕食飲み会 
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