第116回の歩く会 7月15日(水)阪急河原町に10時半に集合しました。寺町を南下して仏光寺通りを西へ、京都の街は道が狭いので大通り以外は殆ど一方通行です。それでも車が通る時は気を付けて脇に寄らなければなりません。祇園祭りの鉾が組上がって17日からの練りを待っていました。「白楽天山」、「鷄鉾」、「岩戸山」などを見たあと南下して五条通りを抜けて東本願寺の西の道を降ると西本願寺とを結ぶ門前町に出ました。ここには1895年に立てられたレンガ作りの本願寺伝道院がありました。西本願寺の前を北上して太鼓楼を見て聞法会館と言うところの地下にある食堂で昼食を取りました。沢山の人を収容出来る大食堂で修学旅行に来ている仏教系高校生の一団がいました。我々は冷やしうどんや蕎麦を食べてビールを・・・、真夏や真冬はこんな所で食べる方が良いなと思いました。食後、すぐ近くにある西本願寺の阿弥陀堂などをゆっくり見て、たまたま「おかみそり」と言う儀式も見ることが出来ました。龍谷大学の横を通って、梅小路を抜けて東寺に着きました。境内の大きな樹の下で大休止、蓮の花が沢山咲いていて五重の塔を背景に記念撮影、時刻は14時を過ぎていました。そこから羅城門址、西寺跡へ回ってまた木陰で休みを取りました。気温が高いのでまめに水を取って・・・・・、ここで鈴木順子さんが地元の方からお話を聞いた事を書いてくれました。西国街道を歩いて久世橋を渡り、ここから西国街道を離れてJR桂川駅のイオンモールへ、少し早かったですがピザの店での夕食は冷たいビールやワインが美味しかったです。

西寺跡地で、イヌを連れたおじさんが西寺について説明をして下さいました。その方は、西寺の再建を願っておられたのだと思います。だからあんなに熱心に語られたのだと思います。

平安京造営の際、朱雀大路の南端 平安京の表玄関 羅城門の両脇に守護の寺(西寺と東寺)が建立されました。
西寺は平安中期に消失し再建されませんでした。
東寺も源平の争いや室町期の土一揆で大半の伽藍を失いましたがその都度再建されました。

西寺については、現在は、唐橋児童公園内に講堂跡を示す土壇と金堂礎石が残っているだけです。
発掘したとき何かが出てきたらしいのですが(いい加減に聞いていたのですが、それはどこかに大切に置いてあるらしく、再建できれば飾れるとか )その場所に(大正5年でしたか)榎を植えたそうです。それが100年でこんなに大きくなったということでした。西寺の敷地だったところはすでに唐橋小学校や宅地となっているから、再建は無理でしょうと残念そうでした。

榎については、葉の形が左右不対称であることを知っていましたので確認しました。榎は街道の1里塚や村境などに植えられ、各地にいわれのある大木があるようです。
植物図鑑を見ると、葉は日本の国蝶に指定されているオオムラサキのの幼虫の餌になるので、オオムラサキ保護のため、榎を植林している地域もあると書かれていました。
落葉高木、高さ20m、直径1mほどになる。よく枝分かれして、樹冠は横に広がる。植物図鑑に書かれている通りでした。それにしても100年でこんなに大きくなるのには驚きましたが、自分たちももう75年も生きてきたのだという思いにもなりました。
                                                          
鈴木順子

     
   
 
     
       
 
 
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