104回目の歩く会は前日からの雨の予報に急遽、行き先を変更して少しバタバタしました。9時40分梅田発の阪急電車新開地行き特急に乗り、王子公園に10時10分に到着、20分に12名で歩き始めました。急坂を登って10時40分過ぎに摩耶山ケーブル下駅に着いたら、発車したところで約20分待つ間に写真を撮ったりして・・・、山頂の「星の駅」で体操して歩き始めが11時半、静かな緑の道を歩いて穂高湖に12時15分に着きました。
昼食後折角だからと少し登って穂高湖を探したけど全景は見えません。私ひとりが更に少し登って写真だけ撮りました。
帰路は徳川道からトエンテイクロスを経て市ヶ原、布引の滝から新神戸まで。13時出発で16時半頃地下鉄に乗れました。休憩を含めて3時間半は案内書のコースタイムとほぼ同じで、鈴木順子さんや田中公子さんなど女性陣が良く歩かれたと感心しました。
トエンテイクロスはまさに20回以上の川越えがあって気持ちの良いコースでした。今回休園日の為に行けなかった神戸市立森林植物園にはまた改めて行くつもりです。(H26.6.11実施、13日掲載)

鈴木順子さんが徳川道とシェール道の事を調べてくれました。赤井さんと田中さんへの返信メールからの転載です。

『明治維新直前、慶応3年(1867年)12月7日、神戸(兵庫)の港を開港したものの、開港場を縦断している西国街道で、外国人と諸大名の接触による(生麦事件のような)トラブルが起こるのを恐れ、西国街道の迂回路(西国往還付替道と命名しました)を造ったのです。
 西から来た参勤交代の行列はトラブルを避けるため、大蔵谷付近から西国街道と別れて道を北へとり、山道を白川、鈴蘭台と辿り、さらに今の森林植物園を抜け、摩耶山の裏から杣谷へ出て南へ下り、石屋川沿いの御影でもう一度西国街道に合流する。
これなら接触トラブルはないはずです。全長32km。兵庫開港の12月7日には完成していましたが、その2日後には王政復古、幕府は崩壊、参勤交代もなくなり、この迂回路は、正式に使われることなく廃道となってしまいます。
 その後、大正頃に、灘の石屋川から須磨の白川台までを六甲山徳川道ハイキングコースとして整備され、それ以西は道路整備宅地開発などでほとんど消滅してしまったようです。』

「シエール道」のシエールは人の名だと思うと申しましたが、山と高原地図に付いている小冊子の中に「シエール氏が親しんだ布引谷源流のシエール道」とあり私はそう思っていました。ほかに、ネットで見ていると別の記事には『シエール道は海産のシエール貝(螺貝)の化石が発見されたことから名付けられ、六甲山頂は海底が隆起したことで出来たことを明確に証明した』との記載もありました。六甲山が海底が隆起したことはほかにも書かれていますが、シエール道のシエールが何をさしているのか、御存知の方は教えて下さい。

   
 
     

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