第89回歩く会報告(H24.7.16)

 7月11日は10時にJR桜ノ宮駅西口を出発しました。左の地図は上が西になっていますが右下に源八橋が見えます。(注1:クリックすると大きくなります)
 すぐに源八橋を渡ると橋上から左手、左岸にワンドのような入り江があります。ここは「青湾」と言われていましたが、水がきれいで秀吉の茶会などもここの水が使われたそうです。






源八橋の辺りに渡しがあり両岸は桜の名所であったそうです。ここから大阪城が見えますね、今のような風景を昔の人も眺めていたのでしょう。

橋を渡り淀川右岸を歩きます。帝国ホテルの前を通り造幣局に着きました。造幣局博物館のビデオはなかなか面白かったし、展示物も興味の引かれる物が多数ありました。





桜ノ宮橋(通称銀橋)を左に見ながら歩いて行くと大きな人道橋がありますが、これは川崎橋、ここも渡しがあったところです。

川崎橋から大坂橋を越えると正面に大阪城が見えます。
府庁の5階にある「正庁の間」を見学しました。
その後お城の大手門の中に入って記念撮影して時間調整。12時40分に 我が母校、大手前高校に入りました。
以下田中君の説明です。





以下岡本君の愛珠幼稚園の説明です。

愛珠幼稚園の見学(平成24711日)

大名屋敷を思わせるような塀重門と瓦葺の高塀が続きその中には何層かの大寺院を思わせる大屋根が並ぶ愛珠幼稚園は、銀行や証券会社などの高層ビルが立ち並ぶ商都大阪船場のど真ん中にある。普段は外観でしか見ることができないが、今回内部を見せて頂く機会を得ることができた。約束の時間を少し遅れて訪問。正門のすぐ横の通用口の上にはザクロの木が茂っていて、少し赤くなった実を付けていた。

  まず遊戯室に案内され園長先生の挨拶を受けた後、DVDでの説明があった。

創立は明治13(1880)年、創設者は船場北部の連合町会で当時の船場商人の心意気の高さが覗える。園舎は、明治34(1901)年現在地(中央区今橋3丁目)に移されたが、当時の主任保母らの原案で設計・建設され、以来現園舎として100年以上の歴史を誇っている。太平洋戦争末期、空襲による火災を避けるために木造園舎の取り壊しを強制されたが、当時の園長先生の粘り強い引き延ばし作戦が功を奏し、終戦を迎えて、園舎は設立当時のまま今に残ったという。また遊戯室の4隅に近いところに

太い柱があった。耐震補強のために施工されたとのことだったが、これにより阪神淡路大震災時の倒壊が防がれたという。

  玄関を入ったすぐのところの遊戯室は天井が非常に高く、その天井は格天井と

いう格式の高いもので中央にはシャンデリアが下がっている。周り三方に2階式回廊が廻っていて、園児の遊戯を俯瞰できる。遊戯室の先は、中央に園庭がありこれを囲むように左(西)側から向う()側に保育室が、右()側には会議室()と床の間付きの和室があった。この部屋で園児たちはお茶遊びと称して茶道を学び食事のマナーを身につけるという。園の教育方針が情操教育を中心にされていることが色んなことでわかる。園庭の片隅に築山を築き小さな池を作って園児たちが伸び伸びと遊べるようにし、また果物の生る木を植え、また、野菜類を育ててその収穫を楽しむ。

また、驚いたのは、園庭と保育室の間はいわゆるバリアフリーになっていて園児たちが段差につまずいて怪我するのを防ぐ一方で、園庭にはかなり大きな廻旋滑り台(昭和6年設置、重文)があって園児たちが伸び伸び遊ぶのを奨励している。最近の幼児教育の実態はよく知らないが、先生方の話を聞き設備などを見ていると、将来が楽しみな子供たちが育っているなと、一種の安堵感を覚えた。


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