第84回歩く会 (2012.3.14)           
     2012.03.25

京都東山を清水口から登り、東山山頂、将軍塚、粟田口を経て新撰組の発祥の地―金戒光明寺を訪れ、祇園の料亭「きたさと」でお開きである。奥様を含めた世の女性方の強い味方であると自認している田中秀和君が下見をしてくれたコースです。

足腰に優しく、知的好奇心を満足させ、コンビニの弁当をおいしく食べさせ、そして京都のぜいたくのほんの一部であろうが鈴木順子さんの紹介により祇園の料亭で夕食を取り、花見小路を車を避けさせながらほろ酔い気分で散策した。

京阪淀屋橋を09時30分に出発し、天満橋、京橋、枚方、丹波橋、七条で合流し、京阪五条に10時26分に到着した。今回、初めて歩く会に参加した福知武は、JRジパングの新横浜次発のひかりにて10時40分に合流した。

堀川川端にて山川君の簡単な説明の後、歩行者に遠慮しつつ、歩道に広がり体操をして松原えいこさんのお勧めでローソンで弁当を買い、茶碗坂を上り清水口に向かった。

普段歩きなれた京都を上から見下ろすまたとない機会であった。「足腰に自信の無い御老人は気をつけてください」との注意書きがあったが、要介護老人の一歩手前の山内孝之君のペースメーカーを先頭に30分ほどでその難所を踏破した。

標高 242.3m の東山の頂上を過ぎ昼過ぎに東山山頂公園にて昼食を取った。

健脚の山川君がリュックに背負い運んでくれたビール、酒を廻してくれたが遠慮してお猪口に一杯分を飲んだが、空瓶さえも二度と回ってこなかった。

昼食のあと、大阪のおでんとお好み焼きのおいしいところを教えてくれといったら、喧喧諤諤、近い将来食べ物に関する小雑誌を書くんだと言った千頭君が、おでんは『たこ梅』、お好み焼きなら、阪急百貨店の東側にある「やまもと」の牛筋ねぎ焼きを推奨してくれた。早い発刊を待っています。

僕が4日ほど大阪の同じホテルに泊まるといったら芦田さんから株主招待券をホテルに届けるとの申し出でがあり、其れを聞きつけた山川君が次回のあるく会に寄付しろと仰せ、大阪人は抜かりない。

食後はバカと煙は高いところに昇りたがると言いながら展望台に登った。京都タワーから北の京都が広く見渡せた。上賀茂神社、下鴨神社(字の違いに注意してください。京都駅前のバス停で観光客がしゃべっているのを聞きました)、平安神宮、御所、二条城、東本願寺、西本願寺、京大、同志社等手に取るように見渡せた。

次に、将軍塚に500円の入場料を払い、もしかしたら夜には祇園の花街に消えていくんだろうかと勘ぐりたくなるような非常に愛想の良いお坊さんに送られて中に入った。青蓮院将軍塚大日堂を手入れの行き届いた樹木を見ながら散策した。多分、北大から築地の魚市場に勤めマグロの神様になり、その後、御夫婦で東京都都立多摩植物園のボランティアをしている吉永君が居れば色々と説明してくれただろうに思った。

これからほぼ下り道となる。昔は江戸に下る旅人達が道中の無事を祈ったとされる、876年(貞観18)創建の粟田神社を過ぎ、美術館と動物園の間を通り平安神宮の東側を北上し、新撰組の発祥の地、黒谷町の金戒光明寺で新撰組や鞍馬天狗のおじさんの活躍を思い出しながら手だけを合わせて参拝した。

その境内で山川君が黒っぽいスーツを着た手に紙バサミを持った若い女性に真っ直ぐにずんずんと近づいていった。僕と彼女が対面し、三人が一直線に並んでおり、僕も彼女も山川君が彼女に何かを聞くために近づいたと思った。しかし、5mほど手前で彼はくるっと右を向きお寺の写真を撮った。一瞬彼女はきょとんとしたふうであった。チョットせっしょやで、おじいちゃん。

これから、最終目的地の祇園の料亭「きたさと」に向かった。

「きたさと」は花見小路の一筋西側にあり、両側に其れらしき店構えのある狭い本当に祇園花街そのままの雰囲気のある小道に面していた。

適当に運動し、のども渇いておりビール、料理、そしてお酒。それに加えてこの年齢にありがちな病気,孫、介護のぐちも無く、中学時代の淡い気持ちを思い出させてくださり、関東では通じないとわが奥様の仰せになる吉本風の駄洒落を聞いてくださり、また、北野出身の橋下氏に対抗するようなエネルギーあふれた若々しい話に花が咲きました。

大阪維新の会、そして、このお年で、酒と食い気にあふれた脂ぎったおじいさん、大阪のおバンではなく、あっさりと化粧をされ若々しいおばあさま方を見て大阪の未来に力強いものを感じました。

本当に楽しく、久方ぶりの大阪を過ごしました。山川君そして皆様方有難うございました。福知武

inserted by FC2 system